| 法改正解説
労災保険法等改正法が公布(令和8年法律第60号) 2026年8月11日 | 社会保険労務士法人T&M Nagoya 三重 英則 |
|
2026年7月、労働・社会保険の分野で見落とせない法律が公布されました。「労働者災害補償保険法等の一部を改正する法律」(令和8年法律第60号)です。令和8年7月10日に参議院本会議で可決・成立し、7月17日に公布されました。年金制度改正やカスタマーハラスメント対策義務化といった大型改正の陰に隠れがちですが、この改正は労災保険制度の根幹に関わる5つの見直しを含んでいます。中心にあるのは「遺族補償年金の男女差の解消」という、制度創設以来続いてきた仕組みの転換です。 施行は原則として令和9年(2027年)4月1日。労災の遺族給付は「請求する側が制度を知らなければ受け取れない」典型的な給付です。顧問先への説明、社内規程・遺族対応マニュアルの見直しを、いまから準備しておく価値があります。 |
|
📌 この記事でわかること ・改正の5本柱:@遺族補償年金等の男女差解消、A消滅時効2年→5年、B特別加入団体の要件の法定化、C社会復帰促進等事業の不服申立ての見直し、D農林水産業の暫定任意適用の廃止 |
| 項目 | 内容 |
| 法律名 | 労働者災害補償保険法等の一部を改正する法律 |
| 法律番号 | 令和8年法律第60号 |
| 国会提出 | 令和8年4月7日 |
| 成立 | 令和8年7月10日(参議院本会議で可決・成立) |
| 公布 | 令和8年7月17日(官報 令和8年7月17日号外第160号) |
| 主な施行期日 | 令和9年4月1日(暫定措置の廃止のみ、公布日から5年を超えない範囲内の政令で定める日) |
法案の土台は、労働政策審議会(労災保険部会)における議論です。同審議会は令和8年3月に法律案要綱について「おおむね妥当」と答申し、法案は修正されることなく提出時の内容のとおり成立しました。改正対象には労災保険法のほか、船員保険法、石綿による健康被害の救済に関する法律、労働基準法(災害補償請求権の時効)等が含まれます。
労災で労働者が亡くなった場合、生計を維持されていた遺族には遺族(補償)年金が支給されます。ところが、この受給資格には配偶者の性別による差が設けられてきました。妻は年齢を問わず受給資格がある一方、夫は労働者(妻)の死亡当時、55歳以上であるか、一定の障害の状態にあることが必要とされてきたのです(さらに55歳以上60歳未満の期間は支給停止=いわゆる若年停止)。つまり、若くして妻を亡くした夫には原則として遺族年金が支給されないという仕組みでした。共働き世帯が標準となった現在、この設計は実態と大きく乖離していました。
改正の内容を、改正前後で比較します。
| 項目 | 改正前(現行) | 改正後(令和9年4月1日施行) |
| 夫の受給要件 | 妻の死亡当時55歳以上、または一定の障害の状態にあることが必要 | 要件を撤廃。妻と同様、年齢にかかわらず受給可能に(特別遺族年金等も同様) |
| 遺族1人の場合の年金額 | 給付基礎日額の153日分(55歳以上または一定の障害の状態にある妻は175日分) | 一律で175日分に改める |
|
【誤解されやすいポイント】 「妻の加算区分の廃止」という言葉だけを見ると給付の切下げに見えますが、実際には153日分だった層が175日分に引き上げられる形での平準化です(厚生労働省公表の改正概要による)。顧問先や相談者に説明する際は、この点を正確に伝えたいところです。 |
なお、2025年6月に成立した年金制度改正法でも、遺族厚生年金について男女差の解消(60歳未満・子のない配偶者は原則5年の有期給付へ、2028年4月施行)が盛り込まれています。公的年金と労災保険という2つの制度で、遺族給付の男女差を解消する方向が同時に進んでいることになります。
| 項目 | 改正前(現行) | 改正後(令和9年4月1日施行) |
| 療養(補償)給付・休業(補償)給付・介護(補償)給付・葬祭料等の請求権 | 消滅時効2年(労災保険法42条) | 疾病の性質上、災害補償の事由に該当するかどうか等を容易に判断できない疾病として政令で定めるものについては5年に延長(労基法の災害補償請求権も同様に延長) |
これは実務上、非常に意味のある改正です。想定されるのは、発症から「労災かもしれない」という認識に至るまで時間がかかる精神障害、長期間の過重労働との因果関係が後から判明する脳・心臓疾患、潜伏期間が長い職業性疾病・化学物質による健康障害などです(対象疾病の具体的な範囲は今後の政令で定められます)。こうした疾病では、気づいたときにはすでに2年が経過していたという事態が起こり得ました。時効を5年とすることで、救済の間口が広がります。
社労士の実務としては、過去に「時効だから」と請求を断念した事案が施行後の取扱いでどうなるのか(経過措置の内容)が焦点になります。施行に向けて示される政令・省令・通達を注視する必要があります。
労災保険の特別加入制度は、中小事業主等・一人親方等・特定作業従事者・海外派遣者を対象とする任意加入の仕組みです。フリーランス・ギグワーカーの増加を背景に対象の拡大が続き、2024年11月からは「特定フリーランス事業」として、業務委託で働く方が広く対象に加わりました。
制度の拡大に伴い問題となってきたのが、特別加入を取りまとめる団体(特別加入団体)の質です。改正法では、承認を受ける団体の要件を法律上明記し、業務災害の防止に関する措置等を適切に実施することを求めるとともに、政府による監督の枠組みを整備します。特別加入団体の運営に関与している社労士事務所・団体は施行までに体制の点検が必要となりますし、顧問先の役員や一人親方を特別加入させる際には、加入先の団体が適正に運営されているかを確認する視点も重要になります。
| 項目 | 改正前(現行) | 改正後(令和9年4月1日施行) |
| 社会復帰促進等事業(義肢等補装具費、労災就学援護費、アフターケア等)に関する決定への不服申立て | 行政不服審査法に基づく審査請求 | 労働保険審査官及び労働保険審査会法の対象とし、審査請求先・再審査請求先を労災保険給付に関する不服申立てと同様に |
保険給付に関する不服申立て(労働者災害補償保険審査官→労働保険審査会)と手続が揃うことになり、労災に関する不服申立てのルートが一本化・専門化される改正です。手続の見通しが立てやすくなります。
労災保険は原則としてすべての事業に強制適用されますが、労働者5人未満の個人経営の農業・林業・水産業の一部については、暫定任意適用事業として加入が任意とされてきました。労災保険制度が創設された当時の産業構造を前提とした経過措置です。改正法はこの暫定措置を廃止し、対象となっていた小規模な農林水産業の個人経営の事業も強制適用の対象とします。
施行期日は他の4項目と異なり、公布の日(令和8年7月17日)から起算して5年を超えない範囲内において政令で定める日とされています。周知と実務体制の整備に相応の時間を要するためと考えられます。農業法人化していない小規模農家・林業事業者・漁業者を顧問先や地域に持つ社労士にとっては、新たな労働保険成立手続の需要が生まれる改正です。
| 改正事項 | 施行期日 |
| @ 遺族補償年金等の支給要件等の見直し(男女差解消) | 令和9年4月1日 |
| A 保険給付請求権等の消滅時効期間の見直し(2年→5年) | 令和9年4月1日 |
| B 特別加入団体の要件の法定化等 | 令和9年4月1日 |
| C 社会復帰促進等事業に係る不服申立ての見直し | 令和9年4月1日 |
| D 労災保険の適用事業に関する暫定措置の廃止 | 公布日(令和8年7月17日)から5年を超えない範囲内で政令で定める日 |
|
✓ チェックリスト(令和9年4月に向けて) @遺族対応マニュアル・社内資料の更新:労災死亡事故発生時の遺族向け説明資料に「夫は55歳以上でなければ受給できない」等の現行制度前提の記載が残っていないか点検する。施行後に古い説明をすると、遺族の請求機会を奪いかねません。 |
「労働者災害補償保険法等の一部を改正する法律」が令和8年7月10日に成立、7月17日に公布されました(令和8年法律第60号)。柱は、@遺族補償年金等の男女差解消(夫の55歳要件等の撤廃・遺族1人の場合は一律175日分)、A消滅時効の2年→5年への延長(政令で定める疾病)、B特別加入団体の要件の法定化、C社会復帰促進等事業に係る不服申立ての見直し、D農林水産業の暫定任意適用の廃止の5つです。@〜Cは令和9年4月1日施行、Dは公布から5年以内の政令で定める日に施行されます。
労災保険は社労士が最も日常的に触れる制度のひとつでありながら、遺族給付や時効の論点は「起きてから調べる」ことになりがちな分野です。施行まで8か月あるいまのうちに、制度の変わり目を押さえておきたい改正です。当法人では、労災保険の手続・特別加入の運用点検から、労災発生時の対応体制の整備まで、伴走型の支援を行っております。
|
|
関連サービス ▸ 労務手続代行・監査 労働保険の成立手続・特別加入の運用を支援します ▸ 就業規則作成・改訂 災害補償・弔慰金関係の規程整備に対応します ▸ 高難度業務対応型顧問 労災発生時の初動から遺族対応まで伴走します |
|
📖 出典・参照資料 ・厚生労働省「労災補償」(改正法の概要を掲載) https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/rousai/index.html |
|
※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の事案に対する法的助言ではありません。消滅時効延長の対象疾病の範囲、施行日前に発生した事案への適用(経過措置)、暫定措置廃止の具体的施行日などの詳細は、今後公布される政令・省令・通達により具体化されます。最新情報に基づく対応が必要な場合は、お気軽にご相談ください。 |
|
執筆者 三重 英則(みえ ひでのり) 社会保険労務士法人T&M Nagoya 社員 |