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作成日:2026/08/18
【裁判例】在職中に競業会社を設立した元社員に100万円請求、会社が全部敗訴 認定された損害は2万4,160円―慰謝料20万円との相殺で請求権は消滅(東京地裁)
裁判例レポート(報道ベース)

在職中に競業会社を設立した元社員に100万円請求、会社が全部敗訴
認定された損害は2万4,160円――慰謝料20万円との相殺で請求権は消滅(東京地裁)

2026年8月18日 | 社会保険労務士法人T&M Nagoya 三重 英則

おはようございます。社会保険労務士法人T&M Nagoya(名古屋市中区)の三重英則です。

「在職中に競業会社を立ち上げていた社員がいる。懲戒解雇のうえ損害賠償を請求したい」——このご相談は、経営者の心情としてきわめて理解できるものです。裏切られたという思いは強く、社用車の私的利用や取引先を巻き込んだ行為があれば、なおさらでしょう。

しかし、その怒りをそのまま訴訟に持ち込んだ結果を示す裁判例が報じられました。東京地方裁判所は、会社の約100万円の損害賠償請求を全部棄却しました。職務専念義務違反による損害として認められたのは2万4,160円のみ。しかも懲戒解雇が無効とされ、元従業員への慰謝料20万円が認められた結果、相殺により会社の請求権はすべて消滅したと判断されています。

本稿では、この事案から中小企業が学ぶべき就業規則の設計上の落とし穴と、「損害賠償請求」という選択肢の現実的な費用対効果を整理します。

📌 この記事の要点

・在職中に競業会社を設立した元従業員2人に対する会社の約100万円の損害賠償請求を、東京地裁が全部棄却
・認定された損害は高速道路代4,160円+パーツ代2万円=計2万4,160円のみ
・就業規則の懲戒解雇事由が「度重なる注意・制裁を受けても改めないとき」と定められていたため、その事実がない本件では懲戒解雇事由に当たらないと判断
・会社が主張した営業秘密の漏洩・横領・窃盗はいずれも認められず、それらの事実がないのに非難を加えた点が人格的利益の侵害とされ慰謝料20万円
・在職中の競業会社設立準備は雇用契約上の信義則違反と評価されたが、それだけで不法行為が成立するとはされなかった

【重要:本記事の情報源と限界について】

本記事は、労働新聞(労働新聞社・令和8年8月3日第3555号2面掲載記事)の報道内容に基づいて構成したものです。当法人が判決原文を確認したものではありません。

また、本件の事件名および判決年月日は、当該報道において明示されておらず、当法人による調査でも特定できませんでした。報道で確認できるのは、東京地方裁判所(矢崎達也裁判官)による判断であるという点までです。判例集への掲載・上級審での判断の有無も現時点では不明です。

したがって本記事は、確定した判例法理の解説ではなく、報道された一事例から読み取れる実務上の示唆としてお読みください。個別の事案への当てはめにあたっては、必ず判決原文および専門家の助言をご確認ください。

1.事案の概要――何が起きたのか

舞台は、自動二輪車や自動車の本体・部品の輸入販売などを営む東京都内の会社です。元従業員2人が、在職中に競業会社を設立していました。報道から確認できる経緯を時系列で整理します。

時期 出来事
令和6年12月3日 元従業員2人が競業会社を設立。それぞれ代表取締役・取締役に就任
令和6年12月11日・16日 会社の社用車を業務以外で使用。利用時にETCカードから高速道路代計4,160円が引き落とされる
令和7年1月下旬ごろ 代表取締役が別の従業員から競業会社設立の報告を受け、本人の承諾を得てロッカーとパソコンの中を確認。取引先が作成したとみられる想定発注書・発注試算書(宛名は競業会社)や車両パーツを発見
令和7年1月27日 会社の聴取に対し、元従業員らが競業会社立上げの事実を認める
令和7年1月30日 会社が元従業員2人を懲戒解雇。理由は、業務時間中に競業会社設立のため社用車を私的に使って法務局を訪問した職務専念義務違反など
令和7年2月25日 会社が取引先を訪問して元従業員の行為を謝罪し、パーツ代として2万円を支払う
その後 会社が元従業員らの不法行為・職務専念義務違反により損害を被ったとして、約100万円の損害賠償を求めて提訴

会社側の主張は、単なる金額の回収にとどまりません。取引先に想定発注書を依頼させた行為などが不法行為に当たり、100万円の無形損害(信用毀損等)を被ったという構成でした。

2.裁判所の判断――請求と結論の対照

争点 会社の主張 裁判所の判断
社用車の私的利用 職務専念義務違反であり損害が生じた 職務専念義務違反に当たると評価。高速代4,160円の損害を認定
パーツの取扱い 会社名義で購入したものを私的に流用した横領に当たる 横領は否定。パーツは社内のロッカーから見つかっており、私的目的で流用したとはいえない。ただしパーツ代2万円は損害として認定
取引先への想定発注書の依頼等 不法行為に当たり、100万円の無形損害を被った 在職中に競業会社の設立準備をしたことは雇用契約上の信義則に反すると評価。ただし信義則違反によってただちに会社の権利または法律上の利益を侵害し無形損害を与えたとはいえず、不法行為の成立は認められない
営業秘密の漏洩・入社時契約書の窃盗 いずれも行われた いずれも認められない
懲戒解雇の有効性 (会社は有効と主張) 懲戒解雇事由はない。就業規則は、度重なる注意・制裁を受けても不適切な行動・言動を改めないときに懲戒解雇すると定めていたが、元従業員らが職務専念義務違反で度重なる注意・制裁を受けた事実はない
慰謝料 営業秘密の漏洩・横領・窃盗などの事実がないにもかかわらず非難を加えるものであり、元従業員が引き続き就労する意思がなかった点を加味しても人格的利益を侵害する。慰謝料20万円が相当
結論 約100万円の支払 損害計2万4,160円は認定したが、慰謝料20万円があるため相殺により請求権は消滅。会社の請求をすべて棄却

【数字についての補足】

報道の見出し部分では損害額が「2万4000円」と概数で示されていますが、内訳は高速道路代4,160円とパーツ代2万円で、正確には2万4,160円です。本記事では内訳の合計額を用いています。

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3.最大の教訓――「段階要件」を書き込んだ就業規則の落とし穴

この事案でもっとも学ぶべき点は、判決の評価そのものよりも就業規則の条文の書き方にあります。

報道によれば、この会社の就業規則は、会社のルールを守らず、度重なる注意・制裁を受けてもなお社員として不適切な行動・言動を改めないときに懲戒解雇するという内容の規定を置いていました。裁判所は、元従業員らが職務専念義務違反について「度重なる注意、制裁」を受けた事実はないとして、懲戒解雇事由に当たらないと判断しています。

⚠ ここが分岐点だった

「度重なる注意、制裁を受けても」という文言は、一見すると従業員に配慮した穏当な規定に見えます。実際、指導や軽い処分を経てから重い処分に進むという段階的対応は、懲戒相当性の観点からは望ましい姿です。

しかし条文に書き込んだ以上、それは会社自身を縛る要件になります。競業会社の設立という一回的・重大な行為に対して、この規定を根拠に懲戒解雇を打とうとすれば、「注意も制裁もしていないのだから要件を満たしていない」と反論される構造になっていたのです。

懲戒処分は、就業規則に定められた事由と手段によってのみ行えるのが原則です。労働契約法15条は、懲戒が客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない場合は権利濫用として無効となる旨を定めています。加えて最高裁は、就業規則の定めが周知されていなければ懲戒の根拠となしえないことを明らかにしています(フジ興産事件・最二小判平成15年10月10日・労判861号5頁)。

つまり、就業規則の懲戒条項は「あればよい」ものではなく、実際に発生し得る事象に対して、そのまま当てはめられる構造になっているかが問われます。

✅ 懲戒規定の点検ポイント

(1) 「段階要件」を無条件に全事由へかけていないか

「度重なる注意にもかかわらず」「再三の指導にもかかわらず」といった文言が、すべての懲戒解雇事由の共通要件になっていないかを確認します。改善可能性を前提とする類型(勤務態度不良・能力不足等)と、一回で信頼関係を破壊する類型(横領・重大な背信行為・競業)は、条文を分けて設計するのが原則です。

(2) 在職中の競業・二重就労を独立の事由として明記しているか

在職中に競業会社を設立・運営する行為は、労働契約に付随する誠実義務(労働契約法3条4項)に反する典型例です。しかし服務規律・懲戒事由に明記されていなければ、処分の根拠が薄くなります。副業・兼業を認める企業が増えているからこそ、「認められる兼業」と「競業に当たり許されない兼業」の線引きを規程上で明確にしておく必要があります。

(3) 社用車・社用備品・ETCカードの私的利用禁止を書いているか

本件で唯一「損害」として認定されたのが高速道路代4,160円でした。私的利用の禁止と、違反時の費用負担・懲戒の扱いを規程に落としておくことが、事実認定を容易にします。

(4) 段階的対応の記録が残る運用になっているか

規程が段階要件を求めるのであれば、注意・指導・軽処分を書面で記録する運用が不可欠です。口頭注意だけでは「度重なる注意」を立証できません。逆に言えば、記録が積み上がっていれば、この会社の規定でも結論は変わり得たということです。

4.「立証できない非難」が慰謝料を生んだ

もう一つ重要なのが、慰謝料20万円が認められた理由です。報道によれば裁判所は、営業秘密の漏洩・横領・窃盗といった事実がないにもかかわらず非難を加えるものであったと評価し、元従業員が引き続き就労する意思がなかった点を加味しても人格的利益を侵害するとして、20万円を相当としました。

解雇が無効とされた場合、通常は地位確認とバックペイ(未払賃金)で救済され、慰謝料が別途認められるのは例外的とされています。それが認められたということは、処分の内容・理由づけの仕方自体に問題があったと評価されたことを意味します。

ここから導かれる実務上の原則は明快です。立証できない非違行為を懲戒理由に並べてはいけない——これに尽きます。

経営者としては、疑わしい事情をすべて処分理由に書き込みたくなるものです。しかし裁判で立証できなければ、その記載は会社側のリスクに転化します。しかも懲戒については、懲戒当時に使用者が認識していなかった非違行為を後から追加して有効性を根拠づけることはできないとされています(山口観光事件・最一小判平成8年9月26日・労判708号31頁)。つまり、

処分時に認識していない事実は、後から足せない(山口観光事件)

処分時に並べた事実のうち立証できないものは、慰謝料のリスクになる(本件)

→ したがって、懲戒処分の前に事実調査を尽くし、立証可能な事実だけで処分を構成することが、唯一の正解に近い対応となります。「解雇を急いだ結果、調査が不十分になる」というのが、実務でもっとも多い失敗パターンです。

なお本件では、代表取締役が本人の承諾を得てロッカーとパソコンを確認したと報じられています。所持品検査・PC調査の適法性はしばしば争点になりますが、この点について会社側に問題があったとする記載は見られません。調査の適法性を確保しつつ証拠を押さえた点は、会社側の対応として評価できる部分だといえます。

5.「信義則違反」と「不法行為」は同じではない

会社が100万円の無形損害を主張した部分について、裁判所は在職中の競業会社設立準備を雇用契約上の信義則に反すると評価しました。会社の言い分を一定程度は認めたわけです。

それでも請求は認められませんでした。信義則違反があるからといって、ただちに会社の権利または法律上の利益が侵害され、無形損害が発生したとはいえない——これが判断の骨子です。

損害賠償請求(民法709条)が認められるためには、@権利・法律上保護される利益の侵害、A損害の発生、B因果関係が必要です。「裏切られた」「信頼を壊された」という評価は、それ自体ではAを満たしません。顧客が実際に流出したのか、売上がいくら減ったのか、その減少が元従業員の行為によるものか——これを数字と証拠で示せなければ、請求は立ちません。

この点は、経営者にとって最も受け入れがたい部分でしょう。しかし、率直に申し上げます。在職中の競業行為に対する損害賠償請求は、費用対効果の観点から成立しにくいのが実情です。本件では請求額約100万円に対し、認定額は2万4,160円。しかも相殺で全額が消え、会社は訴訟費用と時間を負担しています。

【相殺について】

本件では、会社の損害賠償請求権と元従業員の慰謝料請求権が相殺され、会社の請求権は消滅したと報じられています(相殺の一般原則は民法505条)。なお、元従業員側が反訴を提起したのか、抗弁として相殺を主張したのかは、報道からは判明しません。

実務上あわせて押さえておきたいのは、会社の損害賠償請求権を従業員の賃金債権と相殺することは、労働基準法24条の賃金全額払の原則により原則として許されないという点です。本件は賃金債権との相殺ではありませんが、「損害分を給与から差し引く」という発想は、それ自体が別の違法を生みます。

6.では、どうすればよかったのか

批評だけで終わらせず、実務対応に落とします。同種の事案に直面したとき、順序として次のように考えることをお勧めします。

段階 やるべきこと 理由
@ 発覚直後 処分を即断せず、証拠保全を優先。同時に自社の就業規則の懲戒条項を読み直す 本件の敗因は、事実ではなく規程の当てはめだった。「その条文で本当に打てるか」を先に確認する
A 調査 本人の承諾を得た所持品・PC確認、関係者聴取、聴取内容の書面化と署名 処分後に判明した事実は追加できない(山口観光事件)
B 事実の仕分け 「立証できる事実」と「疑いにとどまる事実」を分け、前者だけで処分理由を構成する 立証できない非難は、慰謝料の発生原因になる(本件)
C 処分の選択 懲戒解雇に固執せず、普通解雇・退職勧奨・降格等との比較検討を行う 懲戒解雇は最も無効リスクが高い。本件のように本人に就労意思がない場合、合意退職での終結が費用対効果に優る場面も多い
D 金銭請求の判断 損害を金額と証拠で積算できるかを先に検証。できなければ請求しない選択も含めて判断 信義則違反の評価だけでは損害は認められない。無形損害の主張は立ちにくい
E 再発防止 懲戒規定・服務規律・秘密保持・競業に関する条項の整備。社用車・備品の私的利用禁止の明記 次の一件では、規程が味方になる状態にしておく

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7.まとめ

この事案で会社が失ったのは、2万4,160円ではありません。訴訟に費やした時間・費用と、慰謝料20万円の支払義務です。しかも元従業員の行為自体は、裁判所も職務専念義務違反であり信義則に反すると評価していました。事実としては会社の言い分が通っていたのに、結論は全部敗訴だった——ここに、この事案の教訓が凝縮されています。

分かれ目は3つでした。@就業規則の懲戒解雇事由に段階要件がかかっていたこと、A立証できない非違行為を処分理由に並べたこと、B損害を金額で積算できていなかったこと。いずれも処分を打つ前に検討できたことです。

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📖 出典・参照資料

・労働新聞社「職務専念違反損害 相殺により会社請求を棄却 解雇無効の慰謝料と 東京地裁」(2026年7月23日/労働新聞 令和8年8月3日第3555号2面掲載) https://www.rodo.co.jp/news/222906/
 ※事件名・判決年月日は同報道に明示されておらず、当法人の調査でも特定できませんでした(要・人手検索
・フジ興産事件(最高裁第二小法廷 平成15年10月10日判決・労働判例861号5頁)――就業規則の周知と懲戒
・山口観光事件(最高裁第一小法廷 平成8年9月26日判決・労働判例708号31頁)――懲戒事由の事後的追加の否定
・参照法令:労働契約法3条4項・15条・16条、民法505条・709条、労働基準法24条、弁護士法72条

【免責事項】本記事は2026年7月28日時点の報道情報に基づく一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の事案に対する法的助言を構成するものではありません。本件の事実関係・裁判所の判断は報道内容に依拠しており、当法人が判決原文を確認したものではありません。また事件名・判決年月日は特定できておらず、上級審での判断の有無も不明です。実際の対応にあたっては、必ず判決原文および最新の一次情報をご確認のうえ、社会保険労務士・弁護士等の専門家にご相談ください。

この記事を書いた人
三重 英則(みえ ひでのり)
社会保険労務士法人T&M Nagoya(名古屋市中区) 社員
特定社会保険労務士/経営心理士/経営法曹会議賛助会員

労働法・人事労務分野を専門とし、就業規則整備、懲戒・問題社員対応、労務監査、労働紛争対応など高難度案件に取り組む。「経営者と共に歩き、最善の解を導き出す」伴走型の支援を提供している。