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作成日:2026/06/19
【裁判例】「主治医は復職可能、産業医は復職困難」 判断が割れた私傷病休職 ― 裁判所が産業医の判断に軍配を上げた理由・ホープネット事件
裁判例 休職・復職
「主治医は復職可能、産業医は復職困難」
判断が割れた私傷病休職 ― 裁判所が産業医の判断に軍配を上げた理由
ホープネット事件(東京地裁 令和5年4月10日判決・労働判例1324号37頁)
📌 この記事の要点
・主治医が「復職可能」と診断しても、それだけで会社に復職させる義務が生じるわけではない。
・裁判所は「主治医か産業医か」という肩書きではなく、判断の客観的合理性で結論を出した。
・休職事由が消滅した(=復職可能になった)ことの立証責任は労働者側にあると明示された。
・会社が勝訴できた背景には、@就業規則の復職要件、A産業医面談という適正手続、B立証責任の所在、という3条件がそろっていた。
・本件で労働者は「他業務であれば復職可能」とも主張したが、裁判所はこれを認めなかった。職種無限定の場合の配置検討義務(片山組事件)とあわせて押さえておきたい。

精神疾患による休職と、その後の復職可否をめぐるトラブルは、近年、社労士の現場で確実に増えています。メンタル不調で休職する社員が増えれば、当然「復職できるのか/まだできないのか」という判断局面も増えます。この判断を誤ると、企業は二重のリスクを負います。早すぎる復職は再発・症状悪化を招き安全配慮義務違反を問われかねず、逆に復職可能な社員を退職扱いにすれば退職扱いの無効(地位確認・バックペイ)を命じられます。

今回取り上げるホープネット事件は、この難問の典型例です。主治医は「復職可能」、会社の産業医は「復職困難」と判断が真っ向から対立しました。裁判所はどちらの判断に合理性を認めたのか。企業はこの局面でどのようなプロセスを踏むべきなのか。休職・復職制度の設計運用を強みとする当法人の視点から、実務に直結する形で整理します。

1. 事案の概要

原告Xは、平成18年3月に被告Y社(労働者派遣事業・有料職業紹介事業・電気通信事業等を営む株式会社)と期間の定めのない雇用契約を締結し、主に営業部門に所属して派遣先への営業や採用活動等に従事していました。欠勤前は担当部長として派遣先との調整や派遣社員の管理を担っていました。

📋 時系列の整理
平成30年6月 バイク走行中に交通事故に遭い受傷。
同年7月 体調不良となり欠勤を開始。
同年8月31日 主治医(E1医師)が「抑うつ状態」で半年程度の休養を要すると診断。
同年9月1日 就業規則に基づき休職開始(休職期間は令和2年2月末日まで)。後に傷病名は「双極性感情障害」と診断。
令和2年1月 Xが3月1日からの復職を希望すると連絡。
同年2月21日 主治医が「症状の改善を認める。3月1日から復職可能。当初1か月は午前のみの労務軽減が望ましい」とする診断書を提出。
同年2月〜3月 産業医(F医師)が2回面談。「生活リズムが確認できない」「会話に食い違いが散見される」として、復職可能と判断できる情報が不足、治療経過の観察を要すると意見。会社は休職期間を3月31日まで1か月延長。
同年3月27日 会社が、休職前の業務を遂行できる程度に回復したとはいいがたいとして、休職期間満了(3月31日)による退職扱いをメール・退職通知書で通知。
その後 Xが「復職可能な状態だった」として地位確認・賃金支払等を求めて提訴。

2. 争点

本件の中核的な争点は、次の一点に集約されます。

令和2年3月末日の時点で、Xは就業規則所定の「休職前に行っていた通常の業務を遂行できる程度に回復」した状態にあったといえるか。

すなわち「休職事由(私傷病による労務提供不能)が消滅したか否か」です。これが認められれば退職扱いは無効、認められなければ退職扱いは有効となります。なおXは、通常業務への復帰だけでなく「他業務であれば復職可能であった」こと、さらに「双極性感情障害は職場のパワーハラスメントに起因する業務上の疾患である」ことも主張しましたが、これらは認められず、本件は私傷病休職の枠組みで判断されました。

3. 判決の結論

東京地裁は、Xは復職可能な状態にあったとは認められないとして、Y社による退職扱いを有効と判断しました。すなわち会社(使用者側)勝訴です。裁判所は、令和2年3月末日の時点において、休職前の職務を通常の程度に行える健康状態に回復していたことはもとより、復職後ほどなくその程度に回復することが見込まれる状態にあったとは認め難い、と判示しています。さらに、「営業部担当部長以外の他業務で被告に復職することが可能であったとも認め難い」として、他業務での復職可能性も否定しました。

4. 判決理由 ― 社労士が押さえるべき3つの判断ロジック

@ 「休職事由の消滅=復職可能」の意味

裁判所は、休職事由が消滅したというのは原則として「休職前の職務を通常の程度に行える健康状態になった場合をいう」と定義しました。これは綜企画設計事件(東京地判平28・9・28労判1189号84頁)など従来の裁判例とも整合する判断枠組みです。ポイントは、「症状が一定程度改善した」「日常生活が送れる」というレベルでは足りず、現実に従前の業務を通常の程度に遂行できる健康状態まで回復しているかが問われる点です。

A 立証責任は「労働者側」にある

裁判所は、休職制度が解雇を猶予する趣旨の制度であることから、休職事由の消滅(=復職可能であること)の主張立証責任を負うのはX(労働者側)であると明示しました。そのうえで「主張立証の対象は自身の健康状況に関するものである以上、労働者に過度の負担を強いることにはならない」と述べています。「会社が復職不可を立証できなければ復職させなければならない」のではなく、復職を主張する労働者の側が復職可能であることを示す必要がある、という整理です。実務上きわめて重要なポイントです。

B 主治医と産業医、どちらが「合理的」か

最大の見どころは、対立する2つの医学的判断のどちらを採用したかです。裁判所は、産業医F医師の「治療経過の観察が必要」とする判断が、面談時のXの行動や診療経過とも整合し合理性を有すると認定しました。注目すべきは、裁判所が「主治医か産業医か」という肩書きで優劣を決めたのではないことです。裁判所は、令和2年3月当時も薬効の強い薬剤が多種類投与され治療が継続していたこと、休職期間中ほとんど外出せず復職に向けた生活リズムの改善等の取組がされていなかったこと、産業医面談でX自身が「午前中はごろごろする」「朝2時に寝て7時に起きる」などと説明し生活リズムが確立されていなかったことといった客観的事情を総合し、主治医が一時的な寛解(症状改善)を評価していたとしても復職可能な状態にはなかった、と「どちらの判断が客観的に合理的か」で結論を出しています。

【当法人の視点】 この「肩書きではなく合理性で判断する」という姿勢は、復職可否をめぐる近時の裁判例に共通する潮流と考えられます。主治医の診断書は患者本人の復職希望が反映されやすく、また「日常生活が送れる=就労可能」と評価されがちで、必ずしも「職場で求められる業務遂行能力の回復」までを保証するものではない、との認識が背景にあると想定されます。

5. 実務への示唆 ― 顧問先に今すぐ伝えるべき5つのポイント

(1) 就業規則に「復職の判断基準」と「会社の判断権」を明記する

本件で会社が勝てた最大の要因は、就業規則に「休職前に行っていた通常の業務を遂行できる程度に回復」という復職要件が定められていた点にあります。復職可否を会社が産業医等の意見を踏まえて判断する旨を休職規程に明確に規定しておくことが、防御の出発点です。

(2) 主治医の診断書だけで復職を決めない ― 産業医面談を制度化する

主治医の「復職可能」診断は、あくまで判断材料の一つです。本件のように産業医面談を実施し、生活リズム・服薬状況・面談時の様子などを客観的に確認するプロセスを、復職フローに組み込むべきです。

(3) 「治療経過の確認」という手続を踏んだことが評価された

裁判所は、産業医が主治医からの情報提供を求め、生活リズムを確認し、再面談を設定するという復職に向けた手続を尽くしたことを評価しています。手続の適正さそのものが、判断の合理性を支えます。会社が一方的に「もう無理だ」と決めつけた事案とは決定的に異なります。

(4) 判断に迷うときは「試し出勤(リハビリ勤務)」の活用を

復職可否の判断が困難な場合、いきなり退職扱いとするのではなく、試し出勤制度を設けて段階的に就労能力を確認する方法が有効です。トラブル予防と、万一の訴訟における「会社は配慮を尽くした」という評価の双方に資します。

(5) 「より軽易な業務」への配置可能性(職種無限定の場合は特に注意)

本件でXは「他業務であれば復職可能であった」とも主張しましたが、裁判所は「営業部担当部長以外の他業務で被告に復職することが可能であったとも認め難い」として、これを認めませんでした。もっとも、職種を限定せずに採用した労働者の場合、片山組事件(最一小判平10・4・9)の枠組みにより、従前業務に復帰できなくても配置可能な他の軽易な業務がないかを検討する義務が使用者に生じ得ます。「元の仕事ができないから即退職」とは限らない点に注意が必要です。職種限定の有無によって結論が変わり得る論点であり、個別事案では片山組事件の射程を慎重に検討する必要があります。

✓ 復職対応チェックポイント
就業規則に復職要件(従前業務を通常程度に遂行できる回復)が明記されているか
復職可否を会社が産業医等の意見を踏まえて判断する旨が規程化されているか
主治医診断書の提出に加え、産業医面談を必須とする復職フローがあるか
生活リズム・服薬状況・診療経過を確認する手続が整っているか
判断が難しい場合の試し出勤(リハビリ勤務)制度を用意しているか
職種限定の有無を確認し、無限定の場合の配置検討の要否を判断しているか

6. まとめ

ホープネット事件は、「主治医が復職可能と言っても、それだけで復職させる義務が生じるわけではない」こと、そして復職可否は肩書きではなく医学的判断の客観的合理性で決まることを、改めて明確にした事案です。会社が勝訴できたのは、@就業規則に復職要件が定められていたこと、A産業医面談という適正なプロセスを踏んだこと、B立証責任が労働者側にあったこと、という3条件がそろっていたからにほかなりません。裏を返せば、これらの整備を怠っている企業は、同じ局面で簡単に敗訴し得るということです。

メンタル不調による休職が増えるいま、「休職規程の整備」と「復職判定プロセスの標準化」は、すべての企業にとって喫緊の課題です。当法人は休職制度の設計・運用支援を強みとしています。顧問先の休職規程が本件の教訓を踏まえた内容になっているか、ぜひ一度点検してみてください。

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■ 参照判例・関連法令
・ホープネット事件(東京地裁 令和5年4月10日判決・労働判例1324号37頁/労経速2549号3頁)
・片山組事件(最高裁第一小法廷 平成10年4月9日判決)
・綜企画設計事件(東京地裁 平成28年9月28日判決・労働判例1189号84頁)
・労働契約法(労務提供義務・債務の本旨に従った履行)/労働安全衛生法(産業医・健康管理)

■ 参考
・労働新聞社「ホープネット事件(東京地判令5・4・10)双極性障害で1年半休職して自然退職扱いは?」(弁護士 野口大/経営法曹会議、令和6年10月28日第3470号14面)

■ 免責事項
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の事案への法的助言ではありません。事案の概要・判断枠組み・判決理由は、労働判例掲載情報および経営法曹会議所属弁護士による判例解説等の複数の公表情報により確認しています。なお判決原文(労働判例1324号掲載)の全文および原告の賃金額については直接確認していません。具体的な対応は、必ず専門家にご相談ください。
執筆者
三重 英則(みえ ひでのり)
社会保険労務士法人T&M Nagoya 社員(特定社会保険労務士・経営心理士・経営法曹会議賛助会員)
SRP認証番号 第160175号
名古屋市中区/IPO労務監査・M&A労務デューデリジェンス・休職制度の設計運用支援