2026年5月25日、M&A実務に直接影響する重要な行政指針の改正が適用されました。厚生労働省「事業譲渡等指針」の改正です。今回の改正は、令和6年成立の事業性融資推進法で創設された「企業価値担保権」を踏まえ、労働者保護の観点から留意事項を新規追加したものです。
本記事では、改正の全体像、改正前後の対比、そして実務上の対応ポイントを整理します。 改正の全体像 ―改正前後の対比
1. 事業譲渡等指針とは ―制度の位置づけ
事業譲渡等指針(正式名称:「事業譲渡又は合併を行うに当たって会社等が留意すべき事項に関する指針」)は、平成28年9月1日適用の厚労省告示第318号として制定されたガイドラインです。
事業譲渡における労働契約の承継は特定承継であり、労働者の個別同意(民法第625条第1項)が必要です。指針は、この同意の「実質性」を担保し、労使間の納得性を高めることを目的としています。法律ではないため直接の罰則はありませんが、行政指導の根拠となり、訴訟においても判断の参考にされ得るものです。 2. 改正の背景 ―企業価値担保権の創設
今回の改正の起点は、令和6年6月に成立した事業性融資推進法(令和6年法律第52号)です。同法により、新たな担保制度として「企業価値担保権」が創設されました。
企業価値担保権は、不動産担保等に過度に依存せず、事業の将来性に基づく融資を後押しするための制度です。会社の総財産を担保目的財産とし、事業全体の価値を担保価値として捉える点が特徴です。スタートアップ等の有形資産に乏しい事業者への融資や、中小企業の事業承継ファイナンス等での活用が想定されています。
3. 改正のポイント@ ―担保権設定時の意見交換
改正指針では、企業価値担保権を設定する場合、会社の状況に応じて、会社が置かれている環境や経営課題等について労働者と意見交換を行い、労働者・労働組合等の意見も踏まえながら、労働組合等に対する情報提供等の促進に向けて取り組むことと規定されました。
これは「平時の対応」であり、担保権を設定しただけで雇用主や労働条件が変わるわけではありません。しかし、企業価値担保権は実行局面で事業譲渡を伴うため、平時から労働者との対話関係を構築しておくことが、いざというときの円滑な承継につながるという考え方です。 具体的な取組みとして、以下が想定されます。
4. 改正のポイントA ―管財人の情報提供義務と労組法上の使用者性
企業価値担保権が実行されると、事業性融資推進法第109条第1項により裁判所が管財人を選任します。改正指針では、管財人は同法第122条の規定に基づき、労働組合等に対し労働者の権利行使に必要な情報を提供するよう努めることが明記されました。
さらに重要なのは、改正指針が「企業価値担保権の実行手続における管財人は、労働組合法上の使用者の地位を承継すると解される」と明示した点です。これにより、労働組合から、管財人の権限に関する事項について団体交渉の申入れがあった場合、管財人は誠意をもって交渉に応じる義務を負います。 また、管財人は、企業価値担保権者のみならず労働者を含む利害関係人に対して善管注意義務を負い、買受人の選定が労働者保護の見地から不適当でその注意を怠った場合、労働者・労働組合等を含む利害関係人は裁判所に管財人の解任を請求でき、損害賠償の対象にもなり得ます。 5. 改正のポイントB ―承継先選定の判断基準
改正指針は、企業価値担保権の実行に伴う事業譲渡について、事業譲渡の金額の多寡のみを問題にするのではなく、雇用の維持や取引関係の維持、その他多様な事情を考慮して最も適切な承継先を選定することを明確に要請しています。換価に際しては裁判所の許可が必要とされ、管財人にはこの観点からの判断が求められます。
この規定は企業価値担保権の実行局面における管財人の義務として位置づけられたものですが、「事業承継において価格だけで決めない」という考え方が公的指針として示された意義は大きく、通常の事業譲渡や株式譲渡における承継先選定の議論にも実務上の影響を及ぼす可能性があると想定されます。 6. M&A実務への影響 ―企業が今取り組むべきこと
7. 金融庁ガイドライン・監督指針との関係
今回の事業譲渡等指針の改正は、より広範な事業性融資推進法の制度枠組みの一環として位置づけられます。先行して、金融庁は令和7年(2025年)5月30日に「事業性融資の推進等に関する法律等に関する留意事項について(事業性融資推進法等ガイドライン)」を公表し、企業価値担保権の運用における労働者保護の留意事項を整理しました。同ガイドラインは事業性融資推進法の施行日である令和8年5月25日から施行されます。
これに加え、令和8年4月10日には金融庁が「事業者と金融機関の信頼関係に基づく事業性融資に関する基本的な考え方(案)」および「主要行等向けの総合的な監督指針(新旧対照表)」「中小・地域金融機関向けの総合的な監督指針(新旧対照表)」を公表し、パブリックコメント手続を実施しています。 事業性融資推進法の枠組み全体として、企業・労働者・金融機関の三者が労働者保護の意識を共有する制度設計が整いつつあるといえます。 まとめ
2026年5月25日から適用された事業譲渡等指針の改正は、企業価値担保権という新制度に対応するための技術的改正にとどまらず、M&A全般における労働者保護の重要性を改めて示すものです。
特に「価格の多寡だけで承継先を選ばない」という考え方は、これからのM&A実務において重みを持つ規範となる可能性があります。労務DDの徹底、労働者への事前説明、労組との誠実協議——いずれも法的義務だけでなく、紛争予防と統合成功のための実務的要請です。 当法人は、事業譲渡・合併における労務DDから、事業譲渡等指針に基づく事前説明計画の策定、承継後の労働条件設計まで、改正指針に対応した一貫支援を行っています。
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