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2026年度 最低賃金審議スタート ─ 目安制度の在り方・EU指令・発効日統一の3つの地殻変動
第72回中央最低賃金審議会から読み解く2026年秋の改定と中小企業の備え
2026年5月22日|社会保険労務士法人T&M Nagoya
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📌 本記事の要点
2026年2月27日、第72回中央最低賃金審議会が開催され、令和8年度の最低賃金改定に向けた審議が正式スタートしました。今年の議論は、@目安制度の在り方そのものの見直し、AEU指令の視点導入、B発効日の全国統一化、という3つの構造的論点を含んでおり、社労士が顧問先に伝えるべき情報の質と量は過去最大級です。2025年度の過去最大引き上げ(+66円、6.3%増)を受けて、中小企業の人件費圧力はさらに加速する見込みです。
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はじめに ─ 「賃上げ国家」日本の節目
最低賃金は、もはや単なる労働者保護のミニマム制度ではなく、日本経済の構造転換を象徴するシンボルとして、経済政策・産業政策・社会保障政策の交差点に位置づけられています。
2026年2月27日に開催された第72回中央最低賃金審議会は、これまでの「年に一度の金額審議」とは決定的に異なる構造を持っています。具体的な目安額の議論に入る前に、最低賃金制度そのもの(目安制度の在り方、発効日の在り方、決定方式)の見直しから始まったことが、最大の特徴です。
本記事では、当法人の視点から、この2026年度最低賃金審議が中小企業実務に与える影響と、社労士として何を準備すべきかを整理します。
1. 2025年度の最低賃金実績 ─ 過去最大の引き上げ
2026年度の議論を理解するためには、まず2025年度の実績を正確に押さえる必要があります。2025年度の地域別最低賃金は、47都道府県すべての答申が出そろい、全国加重平均1,121円(昨年度1,055円から+66円、引き上げ率6.3%)となりました。
これは1978年(昭和53年)に目安制度が始まって以降、引き上げ額として過去最高です。これにより、全47都道府県で初めて最低賃金が1,000円を超えました。最高額は東京都の1,226円、最低額は高知県・宮崎県・沖縄県の1,023円です。最高額に対する最低額の比率は83.4%(昨年度81.8%)と、11年連続で改善しました。
▼ 2024年度・2025年度の最低賃金比較
| 項目 |
2024年度(前年度) |
2025年度(最新実績) |
| 全国加重平均 |
1,055円 |
1,121円 |
| 引き上げ額 |
+51円 |
+66円(過去最大) |
| 引き上げ率 |
5.1% |
6.3% |
| 1,000円超の都道府県 |
16都道府県 |
47都道府県(全国初) |
| 発効日 |
2024年10月から順次 |
2025年10月〜2026年3月31日 |
2. 2026年度審議の3つの構造的論点
論点@ 目安制度の在り方の見直し
中央最低賃金審議会の「目安」は、1978年に導入された制度で、各都道府県を経済水準で3ランク(A・B・C)に分け、ランクごとに目安額を提示してきました。しかし近年、ランク制度については@格差固定化、A複雑性、B国際比較困難、という3つの批判が噴出しています。
2025年度の最低賃金改定では、「隣県より低くしたくない」「全国最下位を避けたい」という意識から、国が示す目安額を大幅に上回る引き上げを行う地域が相次ぎました(39道府県が目安超え)。審議会では、このような近隣県との獲得競争や最下位争いが審議を停滞させているとの懸念が示されており、A・B・Cランク区分について中長期的な見直しが議論されています。
論点A EU指令の視点導入
2022年10月に欧州連合(EU)で採択された「最低賃金に関する欧州連合指令(EU Directive 2022/2041)」は、EU加盟国に対して、最低賃金が全国賃金中央値の60%、または全国平均賃金の50%を下回るべきでないとの参考指標を示しています。
日本の最低賃金は、賃金中央値に対する比率がEU指令の参考値を下回る水準にあるとされており、中央最低賃金審議会では、この国際基準をどの程度反映させるかが中長期的論点となっています。仮に日本の最低賃金を「全国賃金中央値の60%」水準に引き上げると、相当規模の追加引き上げが必要となる計算で、これは政府の「2020年代に全国平均1,500円」目標と概ね整合する水準です。
論点B 発効日の全国統一
2025年度の地域別最低賃金の発効日は、最早の都道府県が2025年10月、最遅の秋田県が2026年3月31日と、約半年の差が生じました。同一企業内の複数拠点で給与計算ルールが時期によって異なる、派遣・出向の取扱いが複雑化する等、実務的混乱が指摘されています。
中央最低賃金審議会では、令和8年度から発効日の在り方を「検討すべきものとして考えられる事項」に含めることとなりました。全国一律の発効日(10月1日が有力)への統一に向けた議論が本格化する見込みです。
3. 2026年度の引き上げ幅予想 ─ 中小企業への複合的影響
政府は「2020年代に全国平均1,500円」目標を掲げており、これを2029年度までに達成するためには、2025年度(1,121円)からおおむね年率7.3%の引き上げが必要とされています。2026年度の具体的な目安額は2026年7月頃に公表される見込みですが、年率7〜8%(金額にして+70〜90円程度)の引き上げが現実的な水準として議論されています。
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中小企業への複合的影響
@ パート・アルバイト人件費の継続的増加:最低賃金で雇用している層に最も直接的に影響。年率7〜8%の引き上げが継続すれば、5年で人件費は約4割増となります。
A 「年収の壁」の構造変化:年収106万円・130万円の壁が、最低賃金引き上げにより実労働時間とミスマッチを起こしつつあります。
B 既存社員との均衡崩壊:時給ベースの新規パートと、月給ベースの正社員の処遇バランス見直しが急務になります。
C 業種別の影響度:飲食業・小売業・宿泊業・介護業などの労働集約型産業は、人件費比率が高く、特に大きな影響を受けます。
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4. 同時並行で進む「年金制度改正法」との連動
2025年6月13日に成立した年金制度改正法(同年6月20日公布)は、最低賃金引き上げと密接に連動する形で、社会保険適用拡大を進めます。
▼ 年金制度改正法 主要改正項目の施行スケジュール
| 改正項目 |
改正前(現行) |
改正後・施行日 |
| 短時間労働者の賃金要件 |
月額8.8万円以上 |
撤廃(公布から3年以内、最賃1,016円以上を見極めて政令で定める日/2026年10月めど) |
| 企業規模要件 |
従業員51人以上 |
段階的撤廃(2027年10月〜2035年10月) |
| 在職老齢年金 支給停止基準額 |
月50万円(2024年度価格) |
月62万円(2024年度価格)/2026年4月1日 |
| 個人事業所の適用対象 |
17業種に限定 |
非適用業種を解消/2029年10月1日 |
| 標準報酬月額の上限 |
月65万円 |
月75万円(段階的)/2027年9月1日〜 |
特に注目すべきは、賃金要件(月額8.8万円)の撤廃時期が「全国の最低賃金が1,016円以上となることを見極めて判断」するとされている点です。2025年度の全国加重平均が既に1,121円となっていることから、賃金要件撤廃の実施時期は2026年10月をめどに進む見込みですが、正式な施行日は政令で定められます。
5. 顧問先に提案すべき5つの対応策
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✓ 中小企業が今すぐ着手すべき5つの対応
@ 人件費シミュレーションの実施:今後5年間の年率7〜8%引き上げを前提に、人件費推移を試算し経営者と共有する。「今年は何とかなる」ではなく「5年で4割増の覚悟」を持って中期計画を策定する。
A 賃金体系の総点検:最低賃金引き上げは賃金体系の歪み(最低賃金接近・逆転)を露呈させる。等級制度・職能給・職務給の点検を最賃改定のタイミングで実施する。
B 助成金の戦略的活用:業務改善助成金(事業場内最低賃金引き上げ+設備投資で最大600万円)、キャリアアップ助成金「短時間労働者労働時間延長支援コース」(2025年7月新設)、賃上げ促進税制(法人税額控除最大30%)などを組み合わせて活用する。
C 「年収の壁」と社会保険適用拡大への対応:賃金要件撤廃(2026年10月めど)に向け、雇用契約・シフト設計の再検討、従業員説明会の実施、給与計算ソフトの設定変更を進める。新規加入者には3年間の保険料負担軽減特例があるため、これも周知する。
D 労働生産性向上のサポート:人件費増を吸収するためには、人事制度・評価制度・教育研修体系の見直しによる労働生産性向上が不可欠。賃金転嫁・取引適正化(取適法)への対応も併行する。
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6. 2026年7月の目安公表に向けた準備
中央最低賃金審議会の目安は2026年7月頃に公表され、地方最低賃金審議会での確定を経て、10月から順次発効する流れです。当法人としては、顧問先に対して以下のスケジュールでの準備を推奨しています。
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2026年最低賃金対応スケジュール(社労士・人事担当者向け)
☐ 5〜6月:人件費シミュレーション実施、賃金体系の総点検開始
☐ 7月:中央最低賃金審議会の目安公表 → 顧問先向け説明会の準備
☐ 8月:各地方審議会の答申、給与計算ソフトの設定変更準備
☐ 9月:給与計算ソフト設定変更完了、求人票時給見直し
☐ 10月:地域別最低賃金発効、社会保険適用拡大(賃金要件撤廃)の対応
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おわりに ─ 「賃金設計の問題」へのステージ転換
2026年度の最低賃金審議は、単なる「年に一度の改定」ではなく、日本の労働市場の構造を変える政策変更として位置づけられています。最低賃金は「法令対応」から「賃金設計の問題」へとステージが完全に変わりつつあり、対応が後手に回ると、採用競争力の大幅な低下を招きかねません。
当法人としては、顧問先に対して、@「賃上げの圧力は止まらない」現実の共有、A「最低賃金改定+社会保険適用拡大+年金制度改正」の同時進行の整理、B「人件費増を吸収する生産性向上策」の伴走支援、という3つの軸でサポートを進めています。経営者と労働者の双方の視点を持つ社労士の役割が、今こそ最大限に発揮されるべき局面です。
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【根拠法令】
最低賃金法、社会経済の変化を踏まえた年金制度の機能強化のための国民年金法等の一部を改正する等の法律(令和7年法律第65号、2025年6月20日公布)、健康保険法、厚生年金保険法
【免責事項】
本記事は、最低賃金審議および年金制度改正法に関する一般的な実務情報の提供を目的としており、個別事案に対する法律的助言ではありません。2026年度の最低賃金目安額および社会保険適用拡大の正式な施行日は、今後の審議および政令により確定します。最新情報は厚生労働省公式サイトをご確認のうえ、具体的な対応については当法人にご相談ください。
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【出典・参考資料】
・厚生労働省「中央最低賃金審議会」(mhlw.go.jp/stf/shingi/shingi-tingin_127939.html)
・厚生労働省「全ての都道府県で地域別最低賃金の答申がなされました」(mhlw.go.jp/stf/newpage_63030.html)
・厚生労働省「社会保険の加入対象の拡大について」(mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000147284_00021.html)
・厚生労働省「年金制度改正法が成立しました」(mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000147284_00017.html)
・日本弁護士連合会「最低賃金額の大幅な引上げ及び地域間格差の是正等を求める会長声明」(2026年4月8日)
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執筆者
三重 英則(みえ ひでのり)
社会保険労務士法人T&M Nagoya 社員/特定社会保険労務士/経営心理士/経営法曹会議賛助会員
「経営者と共に歩き、最善の解を導き出す」を理念に、中小企業・IPO準備企業を中心に賃金制度設計・労務監査・労働紛争解決を支援。給与監査顧問、最低賃金対応、社会保険適用拡大への移行支援など、賃金設計の高難度案件に対する伴走支援を専門とする。
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