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「うちの社員は短時間睡眠でも問題なく働けている」――そう考えている経営者は少なくありません。しかし、睡眠科学の世界では、本人が「平気」と感じている短時間睡眠こそが、深刻な認知機能低下と労災リスクを生む状態であることが、20年以上前から実証されています。本稿では、睡眠不足が組織パフォーマンスに与える科学的影響を整理したうえで、令和3年に改正された脳・心臓疾患の労災認定基準、勤務間インターバル制度(労働時間等設定改善法)、そして使用者が負う安全配慮義務(労働契約法5条)との関係から、企業が取り組むべき実務対応について解説します。
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📌 本記事の要点 ● ペンシルベニア大学の研究(Van Dongen et al., 2003)は、毎晩6時間睡眠を2週間継続すると、3日間連続で完全断眠した者と同程度の認知機能低下が生じることを示している |
睡眠不足が認知機能に与える影響を最も精緻に示した研究として、しばしば引用されるのが、ペンシルベニア大学医学部のHans P.A. Van Dongen博士らが2003年にSLEEP誌(米国睡眠学会の機関誌)に発表した論文「The Cumulative Cost of Additional Wakefulness(覚醒延長の累積コスト)」です。
この研究では、21歳から38歳の健康な被験者48名を、毎晩@8時間、A6時間、B4時間の睡眠を14日間連続して取るグループに割り付け、それぞれの認知機能を測定しました。比較対照として、3日間連続で完全に睡眠を取らない(断眠)グループも設定されました。
結果は、労務管理に携わる者にとって看過できない内容でした。
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Van Dongen研究の主な知見 ● 6時間睡眠を14日間継続したグループの注意力・反応速度は、3日間連続断眠した者と同程度まで低下 |
特に重要なのは、本人が「自分は短時間睡眠に適応できている」と感じていても、客観的な認知パフォーマンスは大きく低下していたという点です。これは、労働者の自己申告や主観的な健康感覚だけに依拠した労務管理が、いかにリスクをはらんでいるかを示唆します。
日本の労働者の平均睡眠時間は、OECD加盟国の中で最も短い水準にあると指摘されています。残業や通勤時間、家事育児の負担などにより、6時間未満の睡眠が常態化している労働者は決して少なくありません。Van Dongen研究の知見を踏まえれば、こうした働き方は、本人も会社も気づかぬうちに、組織全体のパフォーマンスを構造的に低下させている可能性が高いと考えられます。
労働契約法5条は「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と定めており、これは判例上「安全配慮義務」と呼ばれます。
電通事件最高裁判決(最判平成12年3月24日民集54巻3号1155頁)は、使用者が「業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務」を負うことを明示しました。睡眠不足の蓄積は、まさにこの「疲労の過度な蓄積」に直結する要因です。
睡眠科学の知見と労務管理の観点を組み合わせると、慢性的な睡眠不足には以下のリスクがあると考えられます。
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✓ 睡眠不足が惹起する主要リスク @ 労働災害リスク:注意力低下による作業ミス、転倒、機械操作事故、運転事故 |
これらのリスクが顕在化した場合、企業は損害賠償責任、刑事責任(業務上過失致死傷罪等)、行政指導、レピュテーション毀損といった多面的な負担を負うことになります。安全配慮義務違反による損害賠償が億単位に及んだ事例も報告されています。
厚生労働省は、令和3年9月14日付で「血管病変等を著しく増悪させる業務による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準」(基発0914第1号)を約20年ぶりに改正し、同年9月15日から運用を開始しました。
この改正で特に重要なのは、過労死ライン(発症前1か月100時間、または2〜6か月平均で月80時間の時間外労働)に達していなくても、「労働時間以外の負荷要因」が認められれば労災認定される枠組みが明示されたことです。
【表1】令和3年9月改正による「労働時間以外の負荷要因」の見直し
| 改正前(〜令和3年9月14日) | 改正後(令和3年9月15日〜) |
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| ● 拘束時間の長い勤務 ● 不規則な勤務(交代制、深夜勤務等) ● 事業場外における移動を伴う業務(出張等) ● 精神的緊張を伴う業務 ● 作業環境(温度、騒音、時差) |
(改正前の項目に加え、以下が追加・拡充) ● 休日のない連続勤務(新規) ● 勤務間インターバルが概ね11時間未満の勤務(新規) ● 身体的負荷を伴う業務(新規) ● 「精神的緊張を伴う業務」→「心理的負荷を伴う業務」へ内容拡充 ● 対象疾病に「重篤な心不全」を追加 |
ここで重要なのは、「勤務間インターバルが概ね11時間未満の勤務」が労災認定上の負荷要因として明示されたという点です。この基準は、医学的知見、すなわち十分な睡眠時間を確保するためには勤務終了から次の勤務開始までに最低11時間程度の休息が必要だ、という考え方に基づくものです。
2019年4月施行の働き方改革関連法により、労働時間等の設定の改善に関する特別措置法(労働時間等設定改善法)2条1項が改正され、勤務間インターバル制度の導入が事業主の努力義務とされました。同条項は「事業主は、…健康及び福祉を確保するために必要な終業から始業までの時間の設定…その他の必要な措置を講ずるように努めなければならない」と規定しています。
ただし、令和6年就労条件総合調査によると、勤務間インターバル制度の導入企業割合は5.7%にとどまっており、政府の目標である「2025年までに15%以上」には遠く及ばないのが現状です。
厚生労働省の労働基準関係法制研究会では、勤務間インターバル制度の義務化(原則11時間)を含む大幅な労基法改正が議論されてきました。2025年10月の労働条件分科会では、EU基準を踏まえた11時間インターバルの義務化が提言されています。
もっとも、2025年12月、政権の方針変更等を背景に、労基法改正案の2026年通常国会への提出は見送られたと報じられています。とはいえ、改正論点そのものは継続検討中であり、義務化議論が消滅したわけではありません。
法改正の義務化を待つまでもなく、Van Dongen研究のような科学的知見と令和3年改正の過労死認定基準を踏まえれば、睡眠時間の確保に資する労務管理は、既に企業の安全配慮義務の射程に入っていると考えられます。当法人として推奨する実務対応のポイントを整理します。
労働安全衛生法66条の8の3により、使用者は労働者の労働時間の状況を客観的に把握する義務を負っています。これに加えて、終業時刻と翌日の始業時刻のインターバルが11時間を下回っていないか、勤怠管理システム等で常時把握できる体制を整えることが望ましいといえます。
就業規則・労使協定により、終業から翌日の始業まで一定時間以上のインターバルを確保するルールを定めることが推奨されます。厚労省は9時間以上、11時間以上を推奨水準としていますが、業種・職種の実情を踏まえ、段階的に拡大する設計も現実的です。中小企業に対しては「働き方改革推進支援助成金(勤務間インターバル導入コース)」の活用も検討に値します。
時間外・休日のメール、チャット、電話による業務連絡は、形式的に労働時間でなくとも、心理的にオフタイムを侵食し、結果として睡眠時間を削る要因となります。深夜・休日のサーバー停止、業務用端末の通知制限、緊急時を除く連絡禁止ルールの就業規則明記など、企業として実効性のある仕組みを設計する必要があります。
労働安全衛生法66条の8により、時間外・休日労働が月80時間を超え、かつ疲労の蓄積が認められる労働者が申し出た場合、医師による面接指導の実施が義務付けられています。睡眠時間の確保状況も面談項目に含め、形式的な実施に終わらせない運用が肝要です。
睡眠不足の悪影響について、本人は自覚しにくいという科学的知見は、現場の管理職にとって特に重要です。「本人が大丈夫と言っているから」という管理は、安全配慮義務違反のリスクをはらみます。睡眠と認知パフォーマンスに関する基礎知識を管理職研修に組み込み、部下の働き方を観察・改善する視点を持たせることが望まれます。
労働時間規制のパラダイムは、世界的に「働く時間の上限を設ける」から「休む時間を確保する」への転換が進んでいます。EUでは労働時間指令により、原則として24時間につき連続11時間以上の休息時間が義務付けられています。フランスでは2017年から「つながらない権利」(droit à la déconnexion)が法制化され、従業員数50人以上の企業に労使協議による具体的ルール策定を義務付けています。
日本企業においても、グローバル基準への対応、人材獲得競争への対応、そして何より労働者の健康確保の観点から、休息時間を経営戦略の一部として再定義する視点が求められています。
Van Dongen研究が示すように、毎晩6時間の睡眠を2週間続けた人の認知機能は、3日間徹夜した人と同水準まで低下します。しかも本人にはその自覚がありません。これを労務管理の視点から読み替えれば、「労働者の自己申告だけに依拠した健康管理は危険である」「形式的な労働時間規制を守るだけでは安全配慮義務を尽くしたとはいえない場合がある」ということになります。
令和3年9月の過労死認定基準改正によって、「勤務間インターバルが11時間未満の勤務」は、すでに労災認定上の負荷要因として法的に位置づけられています。法改正の義務化を待つのではなく、科学的知見と現行の認定基準を踏まえて、自社の労務管理体制を点検し直すことが、経営者に求められる責任ある対応であると考えられます。
「睡眠」という一見プライベートな領域は、現代の労務管理においては、安全配慮義務、過労死防止、生産性、企業ブランディングのすべてに直結する経営テーマです。当法人では、勤務間インターバル制度の設計支援、就業規則の改定、長時間労働是正のコンサルティングなどを通じて、経営者の皆様と共に最善の解を模索してまいります。
勤務間インターバル制度の導入支援、就業規則の改定、長時間労働是正のご相談を承ります |
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【主な根拠法令・通達】 ● 労働契約法5条(労働者の安全への配慮) 【免責事項】 本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の事案に対する法的助言を構成するものではありません。記載内容は執筆時点の法令・通達・公表情報に基づいており、その後の改正等により内容が変更される可能性があります。具体的な対応については、社会保険労務士・弁護士等の専門家にご相談ください。 |
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【出典・参考文献】 ● Van Dongen HPA, Maislin G, Mullington JM, Dinges DF. "The Cumulative Cost of Additional Wakefulness: Dose-Response Effects on Neurobehavioral Functions and Sleep Physiology From Chronic Sleep Restriction and Total Sleep Deprivation." SLEEP, Vol. 26, No. 2, pp.117-126, March 2003. |
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EXECUTIVE WRITER 三重 英則 社会保険労務士法人T&M Nagoya 社員 特定社会保険労務士 / 経営心理士 / 経営法曹会議賛助会員 |