作成日:2026/05/14
TOKYO PRO Market上場準備の新局面 ―東証2026年4月公表資料が示す労務ガバナンスの新基準―
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TOKYO PRO Market上場準備の新局面 ―東証2026年4月公表資料が示す労務ガバナンスの新基準―
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「TOKYO PRO Market(TPM)なら審査が緩いから比較的上場しやすい」――こうした認識は、2026年4月の東証の新方針公表により、見直しを迫られています。東京証券取引所は同月3日、TPMを「一般市場上場と非上場の間の多様な活用ニーズに対応する市場」と明確に位置づけ、上場目的の開示要請を打ち出しました。これは、TPMを将来的な一般市場への移行も視野に入れた「機能発揮市場」として再定義する方針転換であり、上場準備企業に対する労務ガバナンスの目線も実質的に厳格化していくことが見込まれます。当法人がIPO労務監査の現場で見てきた論点も交えながら、TPM上場準備における労務体制構築の要諦を解説します。
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📌 この記事のポイント
・東証は2026年4月3日、TPMを「多様な活用ニーズに対応する市場」と再定義し、上場目的の開示を要請
・TPM審査は「形式中心」から「実態の運用確認」へと粒度が細かくなる傾向
・労務審査の主要論点は、未払残業代・長時間労働・社会保険加入・ハラスメント防止体制の4点
・労務監査の早期実施・客観的記録体制の構築・取締役会報告の定例化が実務対応の3本柱
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1. 東証2026年4月公表資料が示すTPMの新たな位置づけ
2026年4月3日、東京証券取引所は「TOKYO PRO Marketの今後の方向性」および「TOKYO PRO Marketへの上場目的の開示のお願い」と題する2つの資料を公表しました。これは、市場区分の見直しに関するフォローアップ会議における議論を踏まえたもので、TPMを「一般市場上場と非上場の間の多様な活用ニーズに対応する市場」として明確に位置づけ直すものです。
注意すべき点は、東証が用いている用語は「義務化」ではなく「開示のお願い」であることです。法的義務として強制されるものではなく、企業の自主的な開示を促す要請にとどまります。ただし、2026年7月以降、東証が開示企業の一覧化を行う方針を示していることから、開示を行わない企業は実質的に投資家・関係者の信頼を得にくくなる構造が生まれます。これは「ソフトロー型のプレッシャー」と呼ぶべき設計であり、形式的な義務化以上に企業行動に影響を及ぼす可能性があります。
| 観点 |
従来の一般的認識 |
2026年4月以降の方向性 |
| 市場の位置づけ |
プロ投資家向けの独立市場 |
一般市場と非上場の間を埋める「多様なニーズ対応市場」 |
| 上場目的の開示 |
特段の枠組みなし |
全上場会社・新規上場会社に開示を要請(2026年7月から一覧化予定) |
| 一般市場への移行 |
個別企業の選択 |
東証として移行準備中の企業を支援する方針 |
| 審査の傾向 |
形式基準なし・J-Adviser裁量 |
J-Adviserのリスク感応度上昇・実態確認の精緻化 |
※ 上表は東証2026年4月3日公表資料および当法人によるIPO労務監査現場での観察に基づき作成。「審査の傾向」欄は法定の制度変更ではなく実務上の傾向を示すもの。
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2. TPM労務審査で押さえるべき4つの論点
TPM審査において、労務管理は企業の持続的成長を支える基盤として確認されます。当法人がIPO労務監査の現場で実際に論点となる頻度の高い項目を整理すると、以下の4つに集約されます。
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論点@ 未払残業代の完全精算
最も多くの上場準備企業がつまずく論点です。労働基準法第115条および附則第143条により、賃金請求権の消滅時効は当分の間3年とされており、IPO労務監査における遡及対象期間と一致します。直前期に未払残業代の存在が判明した場合、簿外債務として開示対象になるだけでなく、上場スケジュール自体が大幅に後ろ倒しになるケースもあります。
▶ 確認ポイント:固定残業代の有効性/管理監督者の実態/タイムカードとPCログの整合性
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論点A 長時間労働に依存しない事業運営
単に36協定の上限内で運用されているかだけでなく、「特定の従業員に過度な負荷が集中していないか」「長時間労働を前提とした事業モデルになっていないか」が問われます。労働安全衛生法第66条の8に基づく医師面接指導の実施記録、産業医の選任状況(労働安全衛生法第13条)も確認対象となります。
▶ 確認ポイント:36協定の特別条項発動状況/長時間労働者面接指導の実施記録/業務分散の体制
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論点B 社会保険・労働保険の適正加入
パート・アルバイトを含む全従業員の適切な加入が確認されます。とりわけ2026年10月施行の社会保険適用拡大改正(賃金要件である月額8.8万円要件の撤廃等)に伴い、新たに加入対象となる従業員の把握と適切な手続きが急務となります。過去の加入漏れがあれば、遡及加入による保険料負担が発生します。
▶ 確認ポイント:雇用契約と実態の整合/加入要件該当者の網羅/遡及加入の必要性判定
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論点C ハラスメント防止体制の実効性
労働施策総合推進法第30条の2(パワハラ防止措置義務、いわゆるパワハラ防止法)、男女雇用機会均等法第11条(セクハラ防止措置義務)、第11条の3(マタハラ防止措置義務)、育児・介護休業法第25条(育介ハラ防止措置義務)に基づく措置義務の履行が確認されます。さらに2026年10月1日施行のカスハラ防止措置義務(労働施策総合推進法改正)への対応も視野に入れる必要があります。形式的な規程整備だけでなく、相談窓口の実効性、研修の実施記録、発生時の調査・是正の実例が問われます。
▶ 確認ポイント:相談窓口の独立性/研修実施記録/発生事案への対応プロセス
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3. 審査の粒度――「書類の有無」から「運用の実態」へ
当法人がIPO労務監査の現場で実感している最も大きな変化は、確認される項目が「書類が整っているか」から「書類どおりに運用されているか」へとシフトしている点です。これはTPMに限らず一般市場上場準備でも共通する傾向ですが、TPMの「機能発揮市場」化の流れの中で、その傾向がより明確になっていくことが見込まれます。
| 確認項目 |
従来型の確認 |
実態重視型の確認 |
| 就業規則 |
作成・届出済か |
記載内容が現場で機能しているか/周知の実態 |
| 36協定 |
届出済か |
限度時間内での実運用/特別条項発動の妥当性 |
| 労働時間管理 |
タイムカード等の有無 |
タイムカードとPCログ・入退館記録との整合性 |
| ハラスメント窓口 |
設置済か |
相談実績・対応記録・是正措置の実例 |
| 管理監督者 |
該当者を指定しているか |
職務権限・労働時間裁量・処遇の3つの判断基準を満たすか |
特に管理監督者性については、日本マクドナルド事件(東京地判平成20年1月28日)以降、肩書ではなく実態で判断する考え方が確立しており、3つの判断基準(職務と権限・労働時間の裁量・処遇)の総合考慮による評価が求められます。労務監査では、組織図・職務権限規程・賃金台帳・タイムカード等の客観的資料を横断的に確認することになります。
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4. 上場準備企業が取り組むべき実務対応の3本柱
TPM上場準備において、労務リスクへの対応は早ければ早いほど経済合理性が高くなります。理由はシンプルで、是正対応に時間がかかるテーマほど、上場直前期に発覚すれば致命傷となるためです。当法人が伴走する上場準備プロセスでは、以下の3本柱を軸に体制構築を進めることを推奨しています。
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@ 労務監査の早期実施(n-2期〜n-3期での着手を推奨)
未払残業代・社会保険加入漏れ・管理監督者性の論点は、いずれも遡及的な是正に時間と費用を要します。上場申請の2〜3年前に第三者による労務監査を実施し、潜在リスクを早期に可視化することで、計画的な改善と簿外債務の精緻な把握が可能になります。
▶ 主な確認領域:規程類の整合性/労働時間管理の実態/賃金計算の正確性/社会保険適用状況
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A 客観的記録体制の構築(HRテック活用を含む)
労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン(厚生労働省)では、客観的な記録による把握が原則とされています。クラウド型勤怠管理システムの導入は有効ですが、システム導入自体が目的化しないよう注意が必要です。重要なのは「タイムカード」「PCログ」「入退館記録」「業務報告」が相互に整合する仕組みを構築することです。
▶ 主な検討事項:労働時間記録の客観性/給与計算の自動化/届出業務の管理体制
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B 取締役会等での労務報告の定例化
労務管理を経営課題として位置づけ、ガバナンスの一部に組み込むことが重要です。取締役会または経営会議で月次または四半期ごとに、長時間労働者数の推移・労務リスク事案の発生状況・ハラスメント相談件数等を定例報告することにより、「経営層が労務を把握している」という事実をエビデンスとして蓄積できます。
▶ 報告すべき指標例:平均残業時間/長時間労働者数/離職率/相談窓口受付件数/是正実施状況
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5. 一般市場へのステップアップを視野に入れた体制設計
東証は2026年4月3日公表資料の中で、「一般市場上場後に大きく成長していくための準備を進めるTPM上場企業の支援を進めていく方針」を明示しています。TPM上場時点から一般市場(グロース市場、スタンダード市場、プライム市場)を見据えた労務体制を構築しておくことは、将来の市場変更時のコスト削減につながります。
一般市場上場会社には、コーポレートガバナンス・コードに基づく人的資本に関する情報開示が求められ、特にプライム市場上場会社では原則ベースのより高度な開示が期待されています。TPM上場段階から人的資本指標(離職率・男女の賃金差異・育児休業取得率等)の把握と内部管理体制を整えておくことで、ステップアップ時の準備期間を短縮できます。
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6. まとめ――労務を「上場の足かせ」から「成長基盤」へ
2026年4月の東証の方針公表は、TPMを「準上場市場」から「機能発揮市場」へと再定義する転換点となりました。この変化の中で、労務ガバナンスは単なるコンプライアンス事項ではなく、企業の持続的成長を支える経営インフラとして位置づけられるべきものです。
当法人は、IPO労務監査・M&A労務デューデリジェンスを通じて、多くの上場準備企業の労務体制構築に伴走してきました。経験から確信しているのは、労務体制の整備に「早すぎる」ということは絶対にないということです。むしろ、早期に着手することが、経営者の方々が本業に専念できる環境を生み出し、上場準備の不確実性を最小化する最も確実な方法であると考えています。
「経営者と共に歩き、最善の解を導き出す」――この使命を胸に、TPM上場準備を進める経営者の皆さまの伴走者として、当法人は専門性を尽くしてまいります。
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【根拠法令・参考資料】
労働基準法第32条(労働時間)/第36条(時間外労働協定)/第37条(割増賃金)/第41条第2号(管理監督者)/第89条(就業規則)/第115条(時効)/附則第143条(時効の経過措置)/労働安全衛生法第13条(産業医)/第66条の8(医師面接指導)/労働施策総合推進法第30条の2(パワハラ防止措置義務)/男女雇用機会均等法第11条・第11条の3/育児・介護休業法第25条/健康保険法・厚生年金保険法(2026年10月施行改正部分含む)/東京証券取引所「TOKYO PRO Marketの今後の方向性」(2026年4月3日公表)/「TOKYO PRO Marketへの上場目的の開示のお願い」(2026年4月3日公表)/厚生労働省「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」
【参考判例】
日本マクドナルド事件(東京地判平成20年1月28日労判953号10頁)
【免責事項】
本記事は2026年5月時点の情報に基づく一般的な解説であり、個別の法的助言を構成するものではありません。具体的な事案については、弁護士・社会保険労務士等の専門家にご相談ください。また、TPM上場審査の運用や東証の方針は今後変更される可能性があるため、最新の公式情報を必ずご確認ください。
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この記事を書いた人
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三重 英則(みえひでのり)
社会保険労務士法人T&M Nagoya 社員 特定社会保険労務士/経営心理士/経営法曹会議賛助会員
法律事務所で約7年間、使用者側・労働者側双方の労働紛争を経験。年間350件以上の相談に対応し、20年以上にわたる紛争解決の実績を持つ。IPO労務監査、M&A労務デューデリジェンス、団体交渉対応など高難度案件を専門とし、「経営者と共に歩き続ける」伴走型の支援を提供している。
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【主な参照元】
・日本取引所グループ「TOKYO PRO Marketの機能発揮に向けた対応」 https://www.jpx.co.jp/equities/products/tpm/enhance/index.html ・東京証券取引所「TOKYO PRO Marketの今後の方向性」(2026年4月3日公表) ・東京証券取引所「TOKYO PRO Marketへの上場目的の開示のお願い」(2026年4月3日公表) ・Manegy「TOKYO PRO Market(TPM)市場改革で見える『労務コンプライアンス』の進化と上場審査への影響」(2026年4月23日公開・記事
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