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作成日:2026/08/25
【実務】「残業45時間」一律指導の見直しは長時間労働の容認なのか ―9月から労基署が見る「健康確保措置」と「発動手続」を読み解く―
労働時間 36協定 2026年9月1日開始
「残業45時間」一律指導の見直しは長時間労働の容認なのか
―9月から労基署が見る「健康確保措置」と「発動手続」を読み解く―
2026年8月25日 / 社会保険労務士法人T&M Nagoya
📌 この記事の要点
@ 厚生労働省は2026年8月19日、労働基準監督署が行ってきた「時間外労働を月45時間以内に削減するよう求める一律の指導」を2026年9月1日から見直すと公表しました。SNSでは「長時間労働の容認」との批判も見られます
A しかし、労働基準法・施行規則・36協定指針(告示)は一つも改正されていません。一律指導の根拠は労基法36条9項の「助言及び指導」、すなわち法的拘束力のない行政指導であり、その運用が変わっても企業の法的義務は何一つ減りません
B 9月以降の重点確認事項である「健康及び福祉を確保するための措置」は、特別条項付き36協定の法定の必須協定事項(労基則17条1項5号)で、その実施状況の記録を保存する義務(同条2項)が既に課されています。記録がなければ「実施していない」と評価されるおそれがあります
C 特別条項で月45時間を超えるには、協定で定めた発動手続(労基則17条1項7号)を毎回踏む必要があり、手続を経ない45時間超は法違反とされています。監督の焦点が「時間数」から「措置と手続の実態」へ移る以上、この論点は従来より重く扱われる可能性があります
D 当法人の見解では、今回の見直しは規制緩和でも厳格化でもなく、「会社が健康確保の取組を記録で示す」方向への転換です。9月1日までに36協定届の「措置」欄と「手続」欄、そして実施記録の点検を強くお勧めします

当法人では8月20日に、この見直しの概要と経緯、企業が確認すべき5つの視点を解説する記事を公開しました。本記事はその強化版として、SNSや一部報道で広がっている「労働時間削減の指導を緩めた」「長時間労働を容認した」という受け止めが法令上どこまで正しいのかを一次資料に当たって検証し、さらに前回は概要にとどめた「健康福祉確保措置」の中身と記録特別条項の「発動手続」という2つの実務論点を掘り下げます。

1. 一次資料で確認する ― 厚労省が8月19日に公表した内容

出発点として、厚生労働省の報道発表「時間外労働等に係る相談・支援及び監督指導を見直します」(令和8年8月19日)の構造を確認します。この文書は、日本成長戦略と経済財政運営と改革の基本方針2026(いずれも令和8年7月21日閣議決定)を根拠に、2026年9月1日から全国の働き方改革推進支援センターと労働基準監督署で次の2つの取組を行うと述べています。

📋 公表文の骨子(厚生労働省報道発表・令和8年8月19日)
取組1|36協定の締結等に関する相談・支援の充実
働き方改革推進支援センターに、36協定・特別条項の締結や柔軟な労働時間制度の活用を支援する「専門相談窓口」を設置。センターと労働基準監督署(労働時間相談・支援班)のチームによるアウトリーチ型の訪問支援を実施。よろず支援拠点・商工会議所等と連携し、経営課題の相談にも対応する体制を構築。

取組2|労働基準監督署における対応の見直し
時間外・休日労働時間数のみに着目して1か月45時間以内への削減を求める一律の指導を見直し、各事業場が36協定で定める健康及び福祉を確保するための措置の実施状況を重点的に確認し、確認した状況に応じた必要な指導を行う。個々の事業場の実態を踏まえ、過重労働による健康障害が生じるおそれが高い場合には引き続き必要な指導を行う

公表文を素直に読むと、見直しの対象は「時間数のみに着目した一律の指導」という指導の仕方であり、法令の改正には一言も触れていません。また、閣議決定の引用部分には「重大・悪質な事案に対しては厳正に対応しつつ」「労使の合意にのっとった指導」という2つの前提が置かれています。後者の「労使の合意」とは、適法に締結・届出された36協定と特別条項のことです。

なお、労働基準監督署の内部で指導の基準を定める通達や監督指導の実施要領がどのように改められるのかは、2026年8月25日時点で当法人が確認した限り公表されていません。本記事の分析は、公表文と現行の法令・告示・通達に基づくものです。

2. SNSで広がる4つの受け止めを、一次資料と法令で検証する

今回の公表後、SNSや各種ニュースのコメント欄では、労働者側からは「厚労省が長時間労働を容認した」、経営者側からは「これで残業を気にしなくてよくなった」という、方向は正反対でも根は同じ誤解が見られます。代表的な4つの受け止めについて、一次資料と法令に照らした検証結果を対照表にまとめます。

SNS等での受け止め 一次資料・法令はどう定めているか 当法人の評価
A. 残業の上限規制が緩和された 労基法36条4項(月45時間・年360時間)、5項(特別条項でも年720時間・月45時間超は年6回まで)、6項(時間外+休日労働は単月100時間未満・2〜6か月平均80時間以内)はいずれも改正されていません。6項違反等には6か月以下の拘禁刑または30万円以下の罰金(119条1号)が従来どおり適用されます 誤り。法改正は一切なく、上限規制も罰則も不変です
B. 労基署は月45時間超を黙認するようになる 公表文は、健康福祉確保措置の実施状況を重点的に確認して状況に応じた指導を行うこと、健康障害のおそれが高い場合は引き続き指導することを明記しています。閣議決定は重大・悪質事案への厳正対応を前提としています 誤り。「見ない」のではなく「見るものが変わる」が正確です。ただし、一律指導が事実上の抑止として機能していた面は否定できず、運用次第で45時間超が常態化する事業場が増える懸念には一定の根拠があります
C. 特別条項さえあれば45時間超の残業を自由に命じられる 特別条項の発動は「通常予見することのできない業務量の大幅な増加等に伴い臨時的に」必要な場合に限られ(36条5項)、協定で定めた手続を経ずに限度時間を超えれば法違反とされます(労基則17条1項7号、通達)。健康福祉確保措置の実施とその記録保存も義務です(同条1項5号・2項) 誤り。特別条項は「条件付きの例外」であり、条件を満たす実務がなければ違法です。9月以降はこの条件の充足がむしろ精査されます
D. 労基署に指導されなければ法的リスクはない 36協定指針3条1項は、協定の範囲内で残業させた場合でも使用者が労働契約法5条の安全配慮義務を負うと明記し、同条2項は脳・心臓疾患の労災認定基準(月45時間超で関連性が徐々に強まり、月100時間・2〜6か月平均80時間超で関連性が強い)に留意すべきことを定めています 誤り。行政指導の有無と民事上の責任は別物です。45時間という数字は指針上も労災認定上も生きています
3. 「45時間の一律指導」はそもそも何だったのか ― 法的性格の整理

「容認か否か」の議論が噛み合わない最大の原因は、一律指導の法的性格が理解されていないことにあります。ここを法令の条文に沿って整理します。

労基法36条は、7項で厚生労働大臣が36協定について留意すべき事項等の指針を定めることができるとし、8項で労使当事者に協定内容を指針に適合させる義務を課し、9項で行政官庁が指針に関して労使当事者に必要な助言及び指導を行うことができると定め、10項でその助言・指導に当たっては労働者の健康確保に特に配慮すべきことを定めています。この7項に基づく指針が「労働基準法第36条第1項の協定で定める労働時間の延長及び休日の労働について留意すべき事項等に関する指針」(平成30年厚生労働省告示第323号、以下「36協定指針」)です。

36協定指針は、2条で時間外・休日労働は「必要最小限にとどめられるべき」であり、労働時間の延長は「原則として限度時間を超えないもの」とされていると述べ、5条2項で特別条項の時間数を限度時間(月45時間・年360時間)にできる限り近づけるよう努めなければならないと定めています。従来の「月45時間以内に」という一律指導は、この指針の趣旨を受けて36条9項の助言・指導として行われてきたものと整理できます。報道では、この方針が監督指導の実施要領などに定められていたとされています(報道ベース)。

⚖ ここが重要|「助言及び指導」は行政指導であって法的義務ではない
労基法36条9項の助言・指導は、法違反に対する是正勧告とは異なり、行政手続法にいう行政指導です。行政指導は、相手方の任意の協力によってのみ実現されるものであり(行政手続法32条1項)、従わなかったこと自体を理由に不利益な取扱いをすることは許されません(同条2項)。つまり、特別条項の範囲内で月45時間を超えて働かせていた企業は、従来も「法違反」だったわけではなく、「指針の趣旨に沿った努力を求める行政指導」を受けていたにすぎません。

だからこそ、この行政指導の運用が変わっても、企業に課された法的義務は一つも減りません。そして、36協定指針そのものは改正されていませんから、労使当事者が特別条項の時間数を限度時間にできる限り近づける努力義務(指針5条2項)も、そのまま残っています。「容認」という表現が法的に成り立たない理由はここにあります。

他方で、経営者が「行政指導だから無視してよかったのか」と受け取るのも早計です。行政指導を無視して長時間労働を続け、その後に健康障害が生じた場合、行政の助言があったにもかかわらず改善しなかったという事実が、安全配慮義務違反の評価において不利に働くことは十分に考えられます。行政指導は法的義務ではありませんが、リスク管理上は「無料の警告」として受け取るのが合理的です。

4. 見直し前後で「労基署が何を見るか」はどう変わるか

前節の整理を踏まえ、監督の現場で「何が確認され、何が指導の対象になるか」という観点で見直し前後を比較します。見直し後の欄のうち、公表文に明記されていない部分は当法人の推測であることを明示しています。

項目 見直し前(2026年8月31日まで) 見直し後(2026年9月1日から)
指導の起点となる数値 時間外・休日労働の時間数。特別条項の範囲内でも月45時間を超えていれば、45時間以内への削減を求める一律の指導 時間数のみに着目した一律指導は行わない。36協定で定めた健康福祉確保措置の実施状況が確認の中心
指導の法的性格 労基法36条9項の助言・指導(行政指導)。法違反ではないため是正勧告ではなく指導票等による 変更なし。措置未実施が協定違反・法違反に当たる場合は是正勧告の対象になり得る(当法人の推測)
確認される資料(想定) 36協定届、出勤簿・タイムカード等の労働時間記録 左記に加え、措置の実施状況の記録(労基則17条2項)、特別条項の発動手続の記録、面接指導・産業医関与の記録など(当法人の推測)
健康障害のおそれが高い事業場 過重労働による健康障害防止の指導 変更なし。個々の事業場の実態を踏まえ、引き続き必要な指導(公表文に明記)
法違反への対応 36協定未締結での残業、上限規制違反、割増賃金未払等は是正勧告。悪質な場合は送検 変更なし。重大・悪質な事案には厳正に対応(閣議決定に明記)
法令・告示 労基法36条、労基則17条、36協定指針 変更なし。いずれも改正されていない(2026年8月25日時点・当法人確認)
実施日 2026年(令和8年)9月1日
5. 9月から労基署が見る「健康福祉確保措置」の中身と、求められる記録

今回の見直しで監督の主役になる「健康及び福祉を確保するための措置」(以下「健康福祉確保措置」)は、新しく作られた概念ではありません。2019年4月施行の上限規制導入時から、特別条項付き36協定の法定の必須協定事項とされてきたものです(労基法36条2項5号、労基則17条1項5号)。36協定届の様式第9号の2には、この措置を記載する欄があり、届出済みの企業はいずれかの措置を必ず選んでいるはずです。

さらに見落とされがちなのが、使用者は、この措置の実施状況に関する記録を、協定の有効期間中およびその満了後5年間(当分の間は3年間)保存しなければならないという義務です(労基則17条2項、同附則の経過措置)。つまり、9月から労基署が確認する「実施状況」は、本来であれば既に記録として手元にあるべきものです。「協定には書いたが、実施の記録は取っていない」という状態は、それ自体が省令違反であり、監督の場面では「実施していない」と評価される可能性が高いと考えるべきです。

36協定指針8条は、協定に定めることが望ましい措置として次の9項目を掲げています。それぞれについて、協定での定め方の例と、「実施した」ことを示す記録の例を当法人の実務提案として整理します。

措置(36協定指針8条) 協定での定め方の例 「実施した」ことを示す記録の例(当法人提案)
1. 医師による面接指導 時間外・休日労働が月45時間を超えた者に医師の面接指導を実施する 対象者の抽出リスト、実施日・医師名・対象者を記した実施台帳、事後措置の記録。法定の面接指導(月80時間超・申出、安衛法66条の8)とは対象基準が異なる点に注意
2. 深夜業の回数制限 深夜(午後10時〜午前5時)に労働させる回数を月4回以内とする 勤怠システムから抽出した深夜勤務回数の月次集計、上限超過者への対応記録
3. 勤務間インターバル 終業から翌始業まで11時間以上の休息時間を確保する 終業・始業時刻ログから算出したインターバル時間、確保できなかった日の把握と翌日の始業繰下げ等の対応記録
4. 代償休日・特別な休暇 限度時間を超えた月の翌月に代償休日を1日付与する 付与対象者・付与日・取得日の一覧、未取得者への取得勧奨の記録
5. 健康診断 勤務状況・健康状態に応じて臨時の健康診断を実施する 臨時健診の実施決定の記録、受診者・受診日、結果に基づく就業上の措置の記録
6. 年次有給休暇の取得促進 限度時間を超えた者に連続3日以上の年休取得を勧奨する 年次有給休暇管理簿(労基則24条の7)、対象者への勧奨文書・面談記録、取得実績
7. 心とからだの相談窓口 社内または外部EAPに相談窓口を設置し周知する 窓口設置の決裁・委託契約、社内周知文書、利用件数の集計(個人情報は除外)
8. 配置転換 勤務状況・健康状態に配慮し、必要な場合は適切な部署へ配置転換する 配置転換の検討記録(産業医意見等)、発令記録。検討したが不要と判断した場合もその記録
9. 産業医等による助言・指導・保健指導 限度時間を超えた者の情報を産業医に提供し、助言・保健指導を受けさせる 産業医への情報提供記録、産業医の意見書・面談記録、衛生委員会の議事録

上記のほか、様式第9号の2では「その他」として独自の措置を定めることもできます。実務上の要点は、協定に書いた措置と、実際に運用している措置と、保存している記録が三位一体で整合しているかという1点に尽きます。届出時に深く考えずに複数の措置にチェックを入れ、その後の運用が伴っていない企業は少なくありません。協定に定めた措置を実施しないことは、労使の合意に反するだけでなく、法定の協定事項の不履行として指導の対象になり得ます。

6. 見落とされがちな法違反 ― 特別条項の「発動手続」

健康福祉確保措置と並んで、9月以降に重みを増すと当法人が見ているのが、特別条項を発動する際の「手続」です。特別条項付き36協定では、限度時間を超えて労働させる場合の手続(労使当事者が合意した協議、通告その他の手続)を協定で定めなければなりません(労基則17条1項7号)。

この手続について行政解釈は、限度時間を超えて労働させる必要のある具体的事由が生じたときは1か月ごとに必ず手続を行わなければならず、所定の手続を経ることなく限度時間を超えて労働時間を延長した場合は法違反となるとしています。また、手続をとった旨を労基署に届け出る必要はないものの、手続の時期・内容・相手方等を書面等で明らかにしておく必要があるとされています(昭和63年3月14日基発150号、平成30年9月7日基発0907第1号、平成31年4月1日基発0401第43号)。

これは重要な帰結を持ちます。従来の一律指導のもとでは、月45時間を超えた時点で「45時間以内に」という指導が入るため、手続の履践まで踏み込んで確認される場面は相対的に少なかったと推測されます。しかし、時間数による一律指導がなくなり、労使の合意にのっとった運用かどうかが確認の中心になれば、「その45時間超は、協定で定めた手続を経たものか」「臨時的な特別の事情は具体的に何か」が問われるのは自然な流れです。手続を経ていない45時間超は、行政指導の対象ではなく法違反、すなわち是正勧告の対象になります。

📄 特別条項を適法に発動するための4つの要件(現行法令の整理)
要件1|臨時的な特別の事情 通常予見することのできない業務量の大幅な増加等に伴う臨時的な必要に限られ、協定にはその事由をできる限り具体的に定める必要があります。「業務の都合上必要な場合」「業務上やむを得ない場合」といった恒常的な長時間労働を招くおそれのある定めは認められません(労基法36条5項、36協定指針5条1項)

要件2|回数と時間の上限 月45時間を超えられるのは年6回まで。時間外労働は年720時間以内、時間外+休日労働は単月100時間未満かつ2〜6か月平均80時間以内(36条5項・6項)

要件3|協定で定めた手続の履践と記録 1か月ごとに、協定で定めた協議・通告等の手続を実際に行い、時期・内容・相手方を書面等で残す(労基則17条1項7号、通達)

要件4|健康福祉確保措置の実施と記録保存 協定で定めた措置を対象者に実施し、実施状況の記録を保存する(労基則17条1項5号・2項)。あわせて、限度時間を超える時間外労働の割増賃金率(法定の25%を超える率とする努力義務、指針5条3項)を協定と就業規則の双方に定めておく(労基則17条1項6号、労基法89条2号)
7. 新設される相談支援体制 ― リーフレットから読む役割分担

公表文に添付された厚生労働省のリーフレット「労務管理の『困った!』を解決 私たちが重点的にサポートします」は、支援の対象として「36協定の書き方・結び方が分からない」「労働時間のルールが複雑でよく分からない」「自社の実態に合った社内規程を作りたい」「労働基準監督署の届出に必要な書類や届出方法を知りたい」という4つの典型的な悩みを掲げ、いずれも無料で支援するとしています。

役割分担も明確です。働き方改革推進支援センターでは社会保険労務士等の専門家が労務管理の実務提案を担い、柔軟な労働時間制度の導入や中小企業向け助成金の相談に応じます。労働基準監督署の「労働時間相談・支援班」は職員が労働時間法制の法令・解釈の説明を担い、自社の実態を踏まえた36協定の締結・届出を説明します。さらに経営改善を目指す企業には、中小企業診断士等が支援するよろず支援拠点が案内されています。

当法人が注目するのは、この支援体制と監督指導の見直しが同じ文書で同時に打ち出されている点です。36協定を締結していない、あるいは特別条項の中身が実態と合っていない企業に対し、「先に支援で適法な枠組みに入ってもらい、その上で措置の実施状況を確認する」という設計だと読めます。支援は取締りではありませんが、支援の過程で把握された明白な法違反が放置されると考えるのは楽観的すぎます。36協定の整備が遅れている企業は、訪問支援を待つのではなく、自ら先に整えることをお勧めします。

8. 当法人の見解 ― 「緩和」でも「厳格化」でもなく、会社が記録で示す時代へ

以上を踏まえた当法人の見解は次のとおりです。今回の見直しの本質は、監督の物差しが「時間数という行政が一律に線を引ける指標」から「措置と手続の実施状況という会社が記録で示すべき事実」へ移ったことにあります。時間数は勤怠データを見れば行政が一方的に判定できますが、措置の実施状況は会社側の記録がなければ判定できません。記録がない場合にどう評価されるかを考えれば、実質的には会社が「健康確保に取り組んでいる」ことを示す責任を負う方向への転換と言えます。書面上は整っていても運用が伴わない企業にとって、従来より厳しい局面があり得ると前回記事で述べた理由もここにあります。

労働者側の懸念についても率直に触れておきます。一律指導は法的拘束力こそなかったものの、「労基署に指導される」という事実上の圧力によって45時間超を抑止してきた面があり、それが外れることで45時間超の月が増える事業場が出る可能性は否定できません。この点は、厚生労働省が毎年公表している長時間労働が疑われる事業場への監督指導結果や、脳・心臓疾患の労災請求・認定件数の推移によって、2027年以降に検証されるべき事項です。当法人としては、健康福祉確保措置の実施状況の確認が形式的なチェックに終わらず、面接指導や産業医関与の実質まで踏み込んだ運用となることを期待しています。

最後に民事上のリスクです。推測の域を出ませんが、運用変更後に長時間労働に起因する健康障害が生じた事案では、協定に定めた健康福祉確保措置を実施していなかったという事実が、安全配慮義務違反の評価を基礎づける事情として、従来より重く扱われる展開が想定されます。行政指導がなくなった分、「なぜその労働者に措置を講じなかったのか」という問いに会社自身が答えなければならないからです。行政に指導されないことと法的リスクがないことは別物である、という原則を経営層と共有しておくことが、この見直しへの最も本質的な備えだと考えます。

9. 9月1日までに確認したい7つの点検項目

✅ 実務チェックポイント ― 「措置」「手続」「記録」を軸に

Check 1|36協定届(様式第9号の2)の控えを取り出し、「健康福祉確保措置」欄と「手続」欄に何を書いたか確認する
届出内容を担当者が把握していないケースは珍しくありません。事業場ごとに控えを確認し、協定内容を一覧にしてください。有効期間切れや過半数代表者の選出手続の不備があれば、協定自体が無効になります。

Check 2|協定に定めた措置ごとに、実施状況の記録が存在するか確認する
第5節の表の右欄を参考に、措置ごとに「いつ・誰に・何を実施したか」の記録の有無を点検し、なければ今月分から作成を始めてください。記録の保存期間は協定の有効期間中とその満了後3年(当分の間)です。

Check 3|特別条項を発動した月について、手続の時期・内容・相手方の記録があるか確認する
直近1年間で月45時間を超えた月を勤怠データから抽出し、その月ごとに協定で定めた協議・通告等の手続を行った記録があるかを照合してください。記録がなければ、当該月の45時間超は法違反と評価されるリスクがあります。

Check 4|特別条項の「臨時的な特別の事情」が具体的に書かれているか確認する
「業務の都合上必要な場合」のような包括的な記載は認められません。実際に45時間を超えた月の事情が、協定に書いた事由に該当するかも併せて点検してください。

Check 5|年6回の回数管理と、単月100時間未満・2〜6か月平均80時間以内の月次モニタリングが機能しているか確認する
特別条項の上限は協定の記載ではなく実労働時間で判定されます。労働者ごとの月次集計と、複数月平均の自動計算が勤怠システムで行われているかを確認してください。

Check 6|限度時間を超える時間外労働の割増賃金率が協定と就業規則で一致しているか確認する
協定で25%を超える率を定めながら就業規則や給与計算に反映されていない場合、割増賃金の未払が生じます。月60時間超の50%以上の割増(労基法37条1項ただし書)と併せて点検してください。

Check 7|「もう45時間を気にしなくてよい」という社内の誤解を防ぐ周知を行う
上限規制・割増賃金・健康確保義務はすべて従来どおりであること、45時間を超えるには特別条項の要件と手続が必要であることを、管理職と従業員代表に文書で周知してください。

これらの点検は、36協定の届出実務を含む労務手続の代行・監査、割増賃金率や勤務間インターバルを規程に落とし込む就業規則の作成・改訂と一体で進めるのが効率的です。また、36協定の運用と健康確保措置の実施記録は、上場審査において必ず確認される項目の一つであり、IPO労務監査の観点からも、今回の見直しを機に整備を前倒しする価値があります。
10. よくあるご質問(FAQ)

Q1. 今回の見直しで、労働基準法や36協定の指針は改正されたのですか?

A. いいえ。労働基準法36条の上限規制、労働基準法施行規則17条の協定事項と記録保存義務、36協定指針(平成30年厚生労働省告示第323号)はいずれも改正されていません。変わるのは労働基準監督署の助言・指導(労基法36条9項に基づく行政指導)の運用であり、企業に課された法的義務は一つも減っていません。

Q2. 2026年9月1日以降、労働基準監督署は具体的に何を確認するのですか?

A. 公表文によれば、各事業場が36協定で定めた健康及び福祉を確保するための措置の実施状況を重点的に確認し、その状況に応じた指導を行います。具体的な確認資料は公表されていませんが、措置の実施状況の記録(労基則17条2項で保存が義務付けられているもの)、特別条項の発動手続の記録、面接指導や産業医関与の記録などが確認対象になると当法人は見ています。過重労働による健康障害のおそれが高い場合の指導や、法違反への是正勧告は従来どおりです。

Q3. 健康福祉確保措置の実施記録は、法律上保存しなければならないのですか?

A. はい。使用者は、特別条項付き36協定で定めた健康福祉確保措置の実施状況に関する記録を、協定の有効期間中およびその満了後5年間(経過措置により当分の間は3年間)保存しなければなりません(労働基準法施行規則17条2項)。この義務は2019年4月の上限規制導入時から存在しており、今回の見直しで新たに課されたものではありません。

Q4. 特別条項を使って月45時間を超えるとき、どのような手続が必要ですか?

A. 36協定で定めた手続(労使当事者が合意した協議、通告など)を、限度時間を超える必要が生じた月ごとに実際に行う必要があります(労働基準法施行規則17条1項7号)。行政解釈では、この手続を経ずに限度時間を超えて労働させた場合は法違反となり、手続の時期・内容・相手方等を書面等で明らかにしておく必要があるとされています。労働基準監督署への届出は不要ですが、記録は必須です。

Q5. 一律指導がなくなれば、月45時間を超えて働かせても安全配慮義務の問題は生じませんか?

A. 生じます。36協定指針3条は、協定の範囲内で残業させた場合でも使用者が労働契約法5条の安全配慮義務を負うこと、および脳・心臓疾患の労災認定基準において月45時間を超えて時間外労働が長くなるほど業務と発症の関連性が徐々に強まり、月100時間または2〜6か月平均80時間を超えると関連性が強いと評価されることに留意すべきことを定めています。行政指導の有無にかかわらず、月45時間超の労働者には協定で定めた健康福祉確保措置を確実に実施し、記録を残すことが必要です。

貴社の36協定、「措置」と「手続」と「記録」は三位一体で整っていますか?

当法人では、36協定届の記載内容の点検、健康福祉確保措置の運用設計と実施記録の様式整備、特別条項の発動手続の記録化までを一貫してご支援しています。
9月1日の運用開始を前に、まずは現状診断からお気軽にご相談ください。


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🔎 本記事の確信度ノート

・見直しの内容と実施日(2026年9月1日)、2つの取組、閣議決定の引用文言は、厚生労働省の報道発表資料(令和8年8月19日)を当法人が直接確認した確定情報です。
・労基法36条各項、労基則17条1項各号・2項、36協定指針(告示)各条の内容は、法令原文および厚生労働省公表資料(告示本文、改正労基法等に関するQ&A)により確認しています。
・特別条項の手続に関する行政解釈(昭和63年基発150号、平成30年基発0907第1号、平成31年基発0401第43号)は、労働基準法解釈総覧に収録された通達を確認したもので、通達原文そのものの直接照合は行っていません。
・従来の一律指導が監督指導の実施要領に定められていたとする記述、経営側・労働側の反応は報道に基づくものです。
・「見直し後に確認される資料」「発動手続の確認が重みを増す」「安全配慮義務の評価への影響」に関する記述は当法人の推測・見解であり、本文中でその旨を明示しています。監督指導の具体的な運用は今後の通達等で明らかになる可能性があります。
根拠法令・出典
・労働基準法 第36条(時間外及び休日の労働)、第37条(割増賃金)、第89条(就業規則の作成及び届出の義務)、第119条(罰則)
・労働基準法施行規則 第17条(協定事項・健康福祉確保措置の実施状況に関する記録の保存)、第24条の7(年次有給休暇管理簿)
・労働基準法第36条第1項の協定で定める労働時間の延長及び休日の労働について留意すべき事項等に関する指針(平成30年厚生労働省告示第323号)
 https://www.mhlw.go.jp/content/000350259.pdf
・労働契約法 第5条(労働者の安全への配慮)/労働安全衛生法 第66条の8(面接指導等)/行政手続法 第32条(行政指導の一般原則)
・行政解釈:昭和63年3月14日基発150号、平成30年9月7日基発0907第1号、平成31年4月1日基発0401第43号(特別条項の手続に関する通達。『労働基準法解釈総覧』労働調査会)
・厚生労働省「時間外労働等に係る相談・支援及び監督指導を見直します」(令和8年8月19日報道発表)
 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_75454.html
・厚生労働省リーフレット「労務管理の『困った!』を解決 私たちが重点的にサポートします」
 https://www.mhlw.go.jp/content/11202000/001739558.pdf
・厚生労働省労働基準局「改正労働基準法等に関するQ&A」(令和2年4月1日)
 https://www.mhlw.go.jp/content/000617980.pdf
・時事通信「時間外労働の一律指導見直し 『月45時間以内』運用で―厚労省」(2026年8月19日配信)
・共同通信「残業一律指導9月見直し 『45時間以内』取りやめ 労基署、健康確保踏まえ」(2026年8月19日配信)
・日本経済新聞「残業『月45時間以内』の一律指導緩和へ 厚労省、健康確保には配慮」(2026年8月19日付)
※ 本記事は2026年8月25日時点の公表情報、法令および報道に基づいて作成しています。監督指導の具体的な運用(通達・実施要領の改正内容等)は今後明らかになる部分があり、内容が変更・追加される可能性があります。
※ 記事の内容は一般的な情報提供を目的としており、個別の法的助言を構成するものではありません。具体的な対応については、社会保険労務士・弁護士等の専門家にご相談ください。
執筆者情報

三重 英則(みえ ひでのり)
社会保険労務士法人T&M Nagoya 社員
特定社会保険労務士・経営心理士・経営法曹会議賛助会員

名古屋市中区を拠点に、中小企業の経営者・人事労務担当者、IPO準備企業に向けて、労働時間管理・就業規則整備・労務監査などの実務支援を提供。経営者と共に歩き、最善の解を導き出すことを使命としています。