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作成日:2026/08/28
【裁判例】「手当を廃止しても、他の手当を増額したから大丈夫」は通用しない ―国立精神・神経医療研究センター事件(東京高判令和7年3月27日)が示した「代償措置」の落とし穴
裁判例解説 就業規則の不利益変更 賃金・手当

「手当を廃止しても、他の手当を増額したから大丈夫」は通用しない
――国立精神・神経医療研究センター事件(東京高判令和7年3月27日)が示した「代償措置」の落とし穴

おはようございます。社会保険労務士法人T&M Nagoya(名古屋市中区)の三重英則です。

「手当を廃止する代わりに、別の手当を増額する」――賃金制度の見直しでよく採られる手法です。しかし、その増額が本当に「代償措置」として評価されるかどうかは、まったく別の問題です。今回は、一審で有効とされた手当廃止の就業規則変更が、控訴審で一転して無効と判断された国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター事件(東京高裁令和7年3月27日判決)を取り上げます。手当の統廃合を検討している企業にとって、示唆に富む裁判例です。

📌 この記事の要点

・特定病棟の看護師等に支給されていた特殊業務手当を段階的に廃止する給与規程の変更について、東京高裁は労働契約法10条の合理性を否定し、一審の有効判断を覆しました(労働者側の逆転勝訴)。
・給与総額の5%を超える減額となる不利益は「小さくない」と評価され、これを受忍させるだけの高度の必要性は認められませんでした。
・同時期に行われた地域手当の引上げは「すでに実施が決まっていたもの」、夜間看護等手当の増額は「支給対象者が異なる」として、いずれも代償措置とは評価されませんでした。
・労働組合との交渉も、時間・回数の面から不十分と判断されました。
・手当の統廃合を行う際は、「何が」「誰に対する」「どの不利益の」代償なのかを説明できる制度設計と、十分な労使協議のプロセスが不可欠です。

1.事案の概要――特殊業務手当の段階的廃止

被告(被控訴人)は、精神・神経・筋の疾病および発達障害の克服等を目的とする国立研究開発法人(国立精神・神経医療研究センター。東京都小平市)です。原告(控訴人)らは、同センターが運営する病院で勤務する看護師および保育士です。

問題となった「特殊業務手当」は、もともと昭和23年頃から国立病院・国立療養所の職員に適用されていた俸給の調整額制度に由来します。精神疾患の患者と絶えず接することが職務に相当の困難と危険を与えること等を理由とするもので、平成22年の独立行政法人化の際に給与規程上の特殊業務手当として定められ、特定の病棟に勤務する看護師等に支給されてきました。

センターは平成30年1月、労働組合に対し、次の内容を含む給与規程の変更を提示しました。

📋 平成30年に同時期に実施された給与規程の変更

(ア)地域手当を14%から16%に引上げ
(イ)夜間看護等手当の増額
(ウ)看護師長手当(役職手当)の増額
(エ)特殊業務手当を平成30年度から毎年度20%ずつ段階的に減額し、令和3年度をもって完全に廃止
原告らは、この特殊業務手当の廃止(段階的廃止)を定めた給与規程の変更は無効であると主張し、@特殊業務手当の支払いを受けるべき労働契約上の地位の確認、A廃止がなければ支払われたはずの差額賃金および遅延損害金の支払いを求めて提訴しました。なお、報道によれば、特殊業務手当の額は職種・業務に応じて月額5,200円から35,400円程度であったとされています。

2.一審と控訴審で結論が正反対に

本件の最大の特徴は、一審(東京地裁立川支部)と控訴審(東京高裁)で結論が真っ二つに分かれた点にあります。分かれ目となったのは、「不利益性の評価の方法」、とりわけ同時期に行われた他の手当の増額を「代償措置」としてカウントできるか、という点でした。
判断のポイント 一審(変更は有効) 控訴審(変更は無効)
不利益性の評価 特殊業務手当の段階的廃止の一方で、基本給・月例年俸の0.2%増額、地域手当の引上げ、夜間看護等手当の増額の各事情を考慮し、これらは不利益性を緩和させる側面があると指摘 給与総額の5%を超える減額の不利益は小さくない。基本給・月例年俸の増額は考慮せず
地域手当の引上げ 不利益緩和の一事情として考慮 すでに実施が決まっていたものであり、代償措置とは位置付けられない
夜間看護等手当の増額 不利益緩和の一事情として考慮 支給対象者が特殊業務手当の受給者とは異なるため、代償措置とは位置付けられない
労働組合との交渉 時間・回数の面から十分な交渉をしたものとは認め難い
結論 労働契約法10条の合理性を肯定(変更有効) 不利益を受忍させるだけの高度の必要性に基づく合理的な内容とはいえない(変更無効)

3.なぜ「他の手当の増額」は代償措置と認められなかったのか

控訴審が代償措置性を否定した理由は、突き詰めれば次の2点に整理できます。

第1に、「すでに約束されていた利益」は代償にならないということです。地域手当の引上げは、特殊業務手当の廃止とは無関係に、すでに実施が決まっていたものでした。もともと労働者が受け取るはずだった利益を、後から「手当廃止の見返り」として持ち出しても、労働者にとって新たな補填にはなっていない――高裁はそう評価したわけです。

第2に、「もらう人が違う利益」は代償にならないということです。夜間看護等手当の増額は、その支給対象者が特殊業務手当の受給者と異なっていました。手当を失うAさんの不利益を、別のBさんへの増額で埋め合わせることはできない、という当然といえば当然の理屈です。

一審は、これらの増額を「不利益性を緩和させる側面があった」と広く捉えましたが、控訴審は、代償措置として評価できるのは「廃止される手当と対応関係のある、新たな利益」に絞られることを示したといえます。

4.労働契約法10条の判断枠組み――賃金の不利益変更には「高度の必要性」

就業規則の変更によって労働条件を労働者の不利益に変更する場合、労働契約法10条により、@労働者の受ける不利益の程度、A労働条件の変更の必要性、B変更後の就業規則の内容の相当性、C労働組合等との交渉の状況、Dその他の事情に照らして「合理的」であることが求められます。

そして、賃金や退職金のような労働者にとって重要な労働条件の不利益変更については、最高裁が「そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合」に限って効力を認める枠組みを示してきました(第四銀行事件・最二小判平成9年2月28日等)。本判決も、この「高度の必要性」の枠組みに沿って合理性を否定しています。

なお、第四銀行事件では、定年延長とともに行われた55歳以上の賃金減額について、定年延長という有利な変更も考慮して不利益性が判断され、福利厚生制度の拡充等も不利益を緩和する事情とされました。同時期の有利な変更をどこまで代償措置・緩和事情として考慮するかは、事案ごとの事実関係――とりわけ不利益を受ける労働者と利益を受ける労働者の対応関係、そして利益が「新たに」与えられたものか――によって左右される点に注意が必要です。

5.実務への示唆――手当の統廃合を検討する企業が押さえるべきこと

賃金制度の見直しにあたり、複数の労働条件を同時期に変更すること自体は、実務上ごく一般的です。本判決は、そうした同時変更を否定するものではありませんが、「同時に何かを増額していれば不利益は緩和されたことになる」という安易な整理が通用しないことを明確にしました。手当の統廃合を検討する際は、次の点を確認してください。

✅ 手当廃止・減額を行う前のチェックポイント

□ 廃止・減額による給与総額に対する減少率を労働者ごとに試算したか(本件では5%超の減額が「小さくない不利益」と評価されました)
□ 代償措置は、不利益を受ける労働者本人に向けられたものか(別の層への増額は代償になりません)
□ 代償措置は、廃止決定とは無関係にすでに決まっていた処遇改善の「流用」になっていないか
□ 廃止の必要性(経営状況・制度趣旨の変化等)を、裏付け資料とともに労働者・労働組合に説明できるか
□ 労働組合・労働者代表との協議は、時間・回数の両面で「十分」といえるプロセスを踏んでいるか(形式的な説明会だけでは足りません)
□ 経過措置(段階的減額)だけで足りると考えていないか(本件では毎年度20%ずつの段階的廃止でも合理性は認められませんでした)
特に注意していただきたいのは、「段階的に減らせば大丈夫」という思い込みです。本件では5年をかけた段階的廃止という緩和的な手法が採られていましたが、それでも控訴審は変更を無効と判断しました。経過措置はあくまで考慮要素の一つにすぎず、不利益の程度・変更の必要性・代償措置の実質・交渉プロセスが総合的に問われます。

また、複数の労働条件を同じ時期に変更する場合には、「なぜ今、これらを同じ時期に変更するのか」「それぞれの変更の目的は何か」を、労働者に対して明快に説明できるよう準備しておくことが重要です。制度変更の趣旨説明が曖昧なまま進めると、後の紛争で「代償措置ではなく無関係の変更だった」と評価されるリスクが高まります。

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【根拠法令・裁判例】

・労働契約法9条(就業規則による労働契約の内容の変更)・10条(就業規則の変更の合理性)
・国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター事件(東京高裁令和7年3月27日判決)
・同事件一審(東京地裁立川支部判決・変更を有効と判断)
・第四銀行事件(最高裁第二小法廷平成9年2月28日判決)

【免責事項】

本記事は、公表された判決情報および報道に基づき、執筆時点(2026年8月)の情報で作成しています。個別の事案への適用にあたっては、事実関係により結論が異なる場合がありますので、必ず専門家にご相談ください。本記事の内容に基づいて生じたいかなる損害についても、当法人は責任を負いかねます。

執筆者:三重 英則(みえ ひでのり)

社会保険労務士法人T&M Nagoya 社員
特定社会保険労務士・経営心理士・経営法曹会議賛助会員
名古屋市中区を拠点に、中小企業の労務管理支援、就業規則の作成・改訂、労働紛争の予防・解決支援、IPO・M&A労務監査に従事。