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作成日:2026/06/22
【裁判例】客の暴言・不当要求に、会社はどこまで従業員を守る義務があるのか −−スーパーマーケット従業員カスタマーハラスメント事件にみる「安全配慮義務」の到達点
裁判例解説/カスタマーハラスメント

客の暴言・不当要求に、会社はどこまで従業員を守る義務があるのか

スーパーマーケット従業員カスタマーハラスメント事件にみる「安全配慮義務」の到達点

東京地裁 平成30年11月2日判決/「入店拒否を直ちにしなかったこと」と義務違反の関係

おはようございます。社会保険労務士法人T&M Nagoya(名古屋市中区)の三重英則です。特定社会保険労務士・経営心理士として労使双方の現場に伴走してきた立場から、本日はカスタマーハラスメント(カスハラ)と企業の安全配慮義務に正面から向き合った裁判例を取り上げます。

パワハラ・セクハラといった「社内の」ハラスメントには、すでに防止措置義務(労働施策総合推進法30条の2ほか)という明確な枠組みがあります。一方、「社外の人間=顧客」からの加害については長く正面の手当てがありませんでした。しかし2025年6月、改正労働施策総合推進法が成立し、カスハラ対策が事業主の法的義務として課されることが確定しました。施行日は2026年(令和8年)10月1日です。義務化の時代を迎えるいま、「会社は従業員をカスハラからどこまで守らなければならないのか」を司法がどう判断してきたかを知ることは、実務対応の出発点になります。

本日取り上げるのは、その代表的な先例であるスーパーマーケット従業員カスタマーハラスメント事件(東京地裁 平成30年11月2日判決)です。結論から言えば、裁判所は会社の安全配慮義務違反を否定しました。しかし「だから放置してよい」という話ではありません。むしろ「会社がどこまでの対策を講じていれば責任を免れられるのか」という具体的な基準を示した点で、措置義務を負う全企業にとって重要な指針となります。当法人の実務視点から整理します。

📌 この記事の要点

・客から暴言等を受けたスーパーのレジ担当者が、会社に安全配慮義務違反を理由に損害賠償(報道ベースで118万円)を請求したが、請求は認められなかった
・決め手は、会社が苦情対応マニュアル(入社テキスト)による初期対応指導・相談体制の整備・深夜2名以上体制といった「守る仕組み」を実際に整えていたこと
・安全配慮義務は「カスハラを完全に防げたか(結果)」ではなく「守る仕組みを持ち、組織として対応したか(プロセス)」を問う
・2026年10月1日のカスハラ対策義務化を見据え、いま全企業が体制整備を急ぐ必要がある
【本記事の作成方針】本記事は、新日本法規WEBサイト等の法律専門解説、東京都「TOKYOノーカスハラ支援ナビ」や厚生労働省「あかるい職場応援団」等の公的情報、企業法務を専門とする複数の弁護士事務所による判例解説、厚生労働省・政府広報オンライン等を相互に突き合わせて、事案・争点・結論を確認しています。ただし判決原文(一次資料)は直接確認しておらず、事件名(被告企業名)は信頼できる各解説でいずれも匿名化されており特定できません。判例集の登載号数も確認できていません。これらの点は本文中で都度お断りします。実務上の示唆には当職の私見を含みます。
1. 事案の概要 ― レジ係をめぐる「客と従業員」のトラブル

食品スーパーマーケットのレジを担当していた従業員が、清算後のポイント付与をめぐって顧客とトラブルになりました。顧客はこの従業員の接客態度に不満を抱き、大声で騒ぎ立て、対応に駆け付けた店舗マネージャーに「この従業員を辞めさせた方がいい」と言い残して立ち去ったと整理されています。

トラブルは一度では終わりませんでした。その後も顧客は何度か来店し、その都度、責任者を呼ぶよう求めたり、レジカウンターを叩くなどの問題行為に及ぶことがあり、会社が警察を呼ぶ場面もあったとされています。これに対し会社は、当該従業員を他の店舗へ異動させたほか、顧客に対して「従業員の対応に問題はないこと」「大声を出すなどの迷惑行為が続く場合は入店を断ること」を伝える、といった対応をとりました。

この従業員は、会社(使用者)に対して安全配慮義務違反を理由とする損害賠償(報道ベースで118万円)を請求しました。原告の主張は、各解説の整理によれば、おおむね「会社が適切な体制を整え、問題客を早く締め出していれば、こんな目に遭わなかった」という趣旨で、現場の体制不備や、問題客に対する入店拒否措置を直ちに講じなかったことを問題にするものであったとされています。

【事実と推測の区別】請求額(118万円)・トラブルの細部(暴言の文言や回数など)・原告の在籍状況は、二次情報に基づくものであり、判決原文で直接確認したものではありません。本記事では確認できた争点の骨格を中心に記述します。
2. 争点 ― 安全配慮義務はカスハラに及ぶのか、及ぶとして何をすれば足りるのか

使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命・身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう必要な配慮をする義務を負います(労働契約法5条、いわゆる安全配慮義務)。これは長時間労働や職場の物理的危険だけでなく、第三者(顧客)からの加害に対する職場環境配慮にも及び得ると理解されています。

問題は、「及ぶ」として、会社が具体的に何をすれば義務を尽くしたことになるのかという水準(程度)です。本件の核心は次の点にありました。

会社は、カスハラから従業員を守るために、どこまでの措置を講じる義務があるのか。問題客に対して「直ちに入店拒否」をしなければ義務違反になるのか。
3. 判決の結論 ― 請求棄却。「会社は安全配慮義務を尽くしていた」

裁判所は、会社が従業員の安全確保に必要な配慮を欠いたと認めるに足りる証拠はないとして、原告(従業員)の請求を棄却しました。会社の安全配慮義務違反を否定したのです。理由として裁判所が重視したのは、会社が実際に次の体制・対応を講じていた点であったと整理されています。

✔ 義務違反を否定する決め手となった会社の体制・対応

苦情を述べる顧客への対応について、入社テキスト(マニュアル)を配布して初期対応を指導していたこと
サポートデスクや近隣店舗・エリアのマネージャー等に連絡できる相談体制を整えていたこと
深夜の時間帯も店舗を2名体制とし、トラブル時に他の店員が相談・通報等の対応をできるようにしていたこと
顧客から「従業員を辞めさせろ」という退職要求があっても会社はこれに応じず、双方に関係修復を働きかけたこと
トラブル再発の際は入店拒否措置の可能性を顧客に伝え、その結果として当該顧客が来店しなくなっていたこと


※このほか、各店舗のレジカウンターに緊急ボタンを設置し従業員に周知していたこと、問題の従業員を他店舗へ配置換えしたことなどを認定事実として挙げる解説もあります。

裁判所は、こうした対応を「穏便な措置から順次実施していた」と評価し、いきなり入店拒否(出入り禁止)という強い措置を早期にとる義務まではなかったと判断しました。

【公平を期すための補足】本件では、会社(事業者)だけでなく顧客も被告とされていましたが、公的解説によれば、裁判所は顧客の行為は粗暴であったものの犯罪として立件するようなものではなかったこと、従業員側の対応にも顧客への配慮に欠ける面があったことなどから、顧客の不法行為責任も否定したと整理されています。「会社が一方的に正しく、顧客が一方的に悪質」という単純な構図の事案ではなかった点は、本判決を読む上で押さえておくべきです。
4. 判決理由の深掘り ― 「ゼロリスク」ではなく「合理的な体制と段階的対応」

この判決の実務的な意義は、安全配慮義務の中身を「結果責任」ではなく「プロセス責任」として捉えた点にあります。ポイントは2つです。

第一に、安全配慮義務は「結果としてカスハラを完全に防げたか」を問うものではない、という考え方です。顧客の言動は会社が完全にコントロールできるものではありません。会社に求められるのは、(a) 事前にマニュアル(初期対応の指導)・相談体制・複数勤務といった仕組みを整えること、(b) トラブルが起きたときに従業員を見捨てず、組織として対応することであって、「カスハラが一度でも起きたら即・義務違反」ではない、ということです。

第二に、対応は「段階的(エスカレーション)」であってよい、という考え方です。最初から最も強い手段(入店拒否・出入り禁止)をとらなければならないわけではなく、まずは穏便な対応(不当要求の拒否・双方の関係修復の働きかけ)から始め、改善しなければ入店拒否の可能性を告知するなど強い措置に進む、という段階的対応の合理性が認められました。なお、一部の解説では迷惑行為に対し警察への通報がなされた場面もあったとされており、「段階的対応」とは決して弱腰の対応を意味するものではない点に注意が必要です。

【当職の私見】この「段階的対応で足りる」という枠組みは会社にとって安心材料である一方、暴力・脅迫・長時間拘束・性的言動など重大・悪質なカスハラの場面では同列に通用しない可能性が高い、と当職は考えます。本件は「暴言・叱責」型の事案であり、身体的危険が切迫していたわけではないからこそ段階的対応が許容されたと読むべきでしょう。生命・身体への危険が現実化している場面では、会社は即座に毅然とした措置(退店要求・警察通報・就業の中断)をとる義務があると考えられます。(この段落は確定した判例の射程ではなく、当職の見解です。)
5. 責任を「肯定した」裁判例との対比から学べること

カスハラ関連の裁判例には、本件のように会社の責任を否定したものと、組織側の責任を認めたものの両方があります。たとえば、私立小学校の教師が保護者からの理不尽な言動を受けた事案では、校長が教師の言動を一方的に非難し、その場を収めるために教師に対して保護者へ謝罪するよう求めたことが不法行為と判断され、学校を設置する市および教員給与を負担する県に損害賠償責任が認められたと報じられています(甲府地裁 平成30年11月13日判決と伝えられるもの)。

【事実と推測の区別】甲府地裁の事案については、判決日・結論の細部に解説間でばらつきがあり、本記事では事件名・判例集登載号数を断定できません。「組織が被害者である従業員を支えず、かえって謝罪を強いるなど加害者側に立った対応をとった事案では責任が肯定されやすい」という傾向を示す参考例として言及するにとどめます。

両者を分けるのは、結局のところ「会社が組織として従業員の側に立って動いたか、個人に対応を押し付け(あるいは加害者側に立っ)たか」です。本件で会社の責任が否定されたのは、マニュアルによる初期対応指導・相談体制・深夜複数勤務・顧客の不当要求の拒否・関係修復の働きかけといった組織的バックアップが現に存在したからにほかなりません。

6. カスハラ対策の義務化 ― 2026年10月1日施行で何が変わるのか

2025年6月4日に成立し、同月11日に公布された改正労働施策総合推進法(令和7年法律第63号)により、企業にはカスタマーハラスメント対策が雇用管理上の措置義務として課されることになりました。施行日は2026年(令和8年)10月1日です。従業員を1人でも雇用するすべての事業主が対象で、企業規模による適用猶予はありません。事業主が講ずべき具体的な措置の内容は、2026年2月26日に告示された指針(令和8年厚生労働省告示第51号)で示されています。

観点 これまで(〜2026年9月) 改正後(2026年10月1日〜)
カスハラ対策の位置づけ パワハラ指針上「望ましい取組」とされるにとどまる(事実上の努力目標) 事業主の雇用管理上の措置義務として法定(改正法33条)
対象事業主 ―(明確な法的義務なし) 従業員を1人でも雇用する全事業主。中小企業の猶予なし
相談を理由とする不利益取扱い 明文の禁止なし カスハラ相談等を理由とする不利益取扱いを禁止(同条2項)
違反した場合 報告徴求・助言・指導・勧告のほか、企業名公表の対象となり得る

※直接の罰則(罰金等)が科される仕組みではありませんが、行政指導の対象となり、最終的には企業名公表に至る可能性があります。具体的措置の内容は指針(令和8年厚生労働省告示第51号)で定められています。

7. 実務上のポイント ― 義務化を見据えて今から整える6項目

本判決と義務化の流れを踏まえ、顧客対応のある企業が今から整えるべき事項を、当法人の視点で整理します。

✔ 今から着手すべき実務チェックポイント

❶ カスハラの定義と「対応しない一線」を明文化する
どこまでが正当なクレームで、どこからが拒絶・通報の対象かを、就業規則・服務規律・対応マニュアルで基準化する。

❷ 相談窓口と報告ルートを「実在」させる
本判決でも相談・連絡体制の存在が決め手の一つでした。窓口は「作っただけ」では足りず、従業員が現実に相談・報告できる運用が必要です。

❸ 段階的対応のフローを用意する(が、重大事案は即時対応)
通常は穏当な対応から段階的に。ただし暴力・脅迫・長時間拘束・性的言動など重大・切迫した事案は、ためらわず退店要求・警察通報・就業中断を行う基準も併せて定める。

❹ 「従業員を辞めさせろ」という不当要求には応じない
本判決で会社が責任を免れた重要な事情の一つが、顧客の不当要求を拒否し従業員を守ったことでした。会社が従業員の側に立つ姿勢こそが、法的にも組織防衛上も決定的です。

❺ 一人勤務・ワンオペと緊急時設備を見直す
複数名体制・応援体制や緊急通報の手段(緊急ボタン等)は、カスハラ対応の実効性を左右します。安全配慮の観点から体制設計を再点検すべきです。

❻ 対応記録を残す
いつ・誰が・どのような対応をとったかの記録は、後の紛争で「組織として対応した」ことを立証する生命線になります。
おわりに ― 「守る仕組み」を持つ会社だけが守られる

本判決が教えるのは、「カスハラをゼロにできなかったこと」自体が責任ではなく、「従業員を守る仕組みを持たず、個人に押し付けたこと」が責任になるということです。義務化を前にした今こそ、自社のカスハラ対応を「精神論」から「仕組み」へと作り替えるタイミングです。当法人では、就業規則・カスハラ対応マニュアルの整備から、相談窓口の運用設計、現場研修まで、カスハラ対策の体制づくりを伴走支援しています。顧問先の業種・現場の実情に即した「実際に機能する仕組み」を、経営者と共に設計してまいります。

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根拠法令・参考裁判例
・労働契約法5条(使用者の安全配慮義務)
・労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律33条(令和7年法律第63号による改正後)
・事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(令和8年厚生労働省告示第51号)
・スーパーマーケット従業員カスタマーハラスメント事件(東京地裁 平成30年11月2日判決)
・私立小学校教師の保護者対応に関する事案(甲府地裁 平成30年11月13日判決と伝えられるもの)
【免責事項】本記事は、判決原文(一次資料)を直接確認したものではなく、複数の信頼できる二次情報および公的情報を相互に突き合わせて作成しています。事件名(被告企業名)・判例集登載号数は各解説でも匿名化・未記載であり、現時点では確認できません。本記事は一般的な情報提供を目的とするものであり、個別事案への適用を保証するものではありません。実際の対応にあたっては、必ず原典・最新の法令情報をご確認のうえ、専門家にご相談ください。
執筆者
三重 英則(みえ ひでのり)
社会保険労務士法人T&M Nagoya 社員
特定社会保険労務士/経営心理士/経営法曹会議賛助会員

法律事務所での使用者側・労働者側双方の労働紛争経験を基盤に、年間多数の労使紛争相談に対応。IPO労務監査、M&A労務デューデリジェンス、団体交渉対応、休職制度設計など高難度案件を専門とし、「経営者と共に歩き、最善の解を導き出す」伴走型の支援を提供している。