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作成日:2026/05/29
【裁判例】東京ガス子会社出向社員 労災認定判決―東京地裁令和8年4月13日判決

最新労働裁判例解説

東京ガス子会社出向社員 労災認定判決

「単一出来事の評価」から「複数出来事の一体的評価」へ
―東京地裁令和8年4月13日判決(小原一人裁判長)が示した実務的衝撃

2026年5月29日 / 社会保険労務士法人T&M Nagoya

📌 本判決の要点

・東京地裁は、入社2年目で子会社に出向した男性社員の自死につき、業務との相当因果関係を認め、三田労基署の遺族補償給付不支給処分を取り消した。

・労基署は出来事ごとに個別評価して心理的負荷を「中」と判断したが、判決はこれらを一体的に評価して「強」に該当すると判断し、結論を覆した。

・上司の言動は「明確なパワハラとまでは認定できない」とされながらも、指導体制の欠落・上司の不適切な言動・会社の事後対応の累積により業務起因性が肯定された点に、本判決の実務的インパクトがある。

はじめに

2026年4月13日、東京地裁(小原一人裁判長)は、東京ガスに入社して子会社に出向していた男性社員(当時24歳)の自死につき、労災と認めた。判決の存在自体は各報道機関が大きく報じたところであるが、当法人としてこの判決から実務上汲み取るべき教訓は、「上司のパワハラがあったから労災になった」という単純な構図では捉えきれない。むしろ、個別の出来事が単独では認定基準上の「強」に達しなくとも、複数の出来事を一体的に評価することで「強」に到達し得るという、認定基準(令和5年9月1日改正)の運用上の重大な指針として読み解くべき判決である。

中小企業・上場準備企業を問わず、出向や配置転換、若手社員のOJT体制を有する事業所すべてに関わる論点を含む。本稿では、報道で確認できる範囲で判決の枠組みを整理し、当法人の実務的視点から検討する。

1. 事案の概要

(1)当事者・訴訟類型

原告:自死した男性社員(当時24歳)の両親

被告:国(処分庁=三田労働基準監督署長)

訴訟類型:労災保険遺族補償給付不支給処分取消訴訟(行政訴訟)

判決:東京地裁令和8年4月13日判決(小原一人裁判長)

(2)事実関係の経過(報道に基づく)

時期 出来事
2017年4月 東京ガス入社、社内研修と教育出向を受講
2018年4月 子会社・東京ガスエンジニアリングソリューションズ(TGES)の財務グループへ配属
2018年8月頃 うつ症状を呈し、同年8月に自死
2021年4月 遺族が労災保険遺族補償給付を申請
2022年1月 三田労働基準監督署が不支給処分(業務起因性否定)
2024年8月 遺族が処分取消訴訟を提起
2026年4月13日 東京地裁判決――処分取消(労災認定相当)

(3)配属先の体制と業務環境(判決の事実認定)

報道によれば、TGES財務グループの体制と業務環境は次のとおりである。

・配属先は、グループマネージャー(GM=E氏)、先輩社員(F氏)、本人を含めたわずか3人の小規模部署

・TGESは2社の合併で設立された経緯から、社内に2つの会計システムが併存し、月次分析のたびに新たなシステムエラーが発生する非定型な業務環境にあった。

・教育出向明けの2年目社員が財務グループに配属されるのはA氏が初めてであり、どのような業務を担当させるかの方針が存在しなかった。

E氏はF氏が実務指導を担うと期待していたが、F氏は自分がOJT担当との認識を持っていなかった(指導責任の所在が不明確だった)。

2. 判決が認定した「出来事」の連鎖

本判決の理解の前提として、報道により認定された主要な出来事を時系列で整理する。

(1)配属直後(2018年4月)― 役割の不付与

A氏は4月中、具体的な役割を与えられないまま自席に座る時間が長く続いた。E氏とF氏はシステム統合プロジェクトや決算処理で恒常的に離席しており、A氏はコピー取り等の補助的業務に従事するほかなかったとされる。

(2)5月11日 ― 報告会資料へのGMの指摘

A氏が報告会資料のドラフトをE氏に提出したところ、E氏は「分かんないかなあ?」「そんなこと書く?」と詰問調に指摘した。これを受けてA氏は会話が続かない状態となった。判決は、この時点でE氏のA氏に対する印象が「少なくとも芳しいものでなかった」と認定したと報じられている。

(3)5月31日 ― 賞与面談での評価告知

前任者からの査定引継ぎを行わないまま、E氏はA氏に「C」評価を告知した。報道によれば、その際、「いつまでもお客さまじゃどうかな」「今は仕事受け身だよね」「能動的に仕事してほしいんだけど、できてないよね」「6月に新人が配属されるんだから頑張らないと」といった発言があったとされる。

(4)6月6日 ― 報告会後のフィードバック

A氏は報告会で発表を行い、E氏は内心「内容も話し方も立派なもの」と感じたと報じられている。しかし、翌日A氏が改善点を尋ねた際、E氏は「特にないかな」と返したのみで、評価点を伝えなかった。

3. 判決の法的判断 ― 評価方法の核心

(1)労基署と判決の判断枠組みの相違

本判決の最大のポイントは、労基署と東京地裁とで認定基準の「あてはめ方」が真っ向から異なった点である。各報道によれば、両者の判断は次のように対比できる。

判断主体 評価方法 心理的負荷の総合判断
三田労基署
(2022年1月の不支給処分)
「配置転換」「上司(GM)とのトラブル」「会社の事後対応」を個別に評価 「中」 → 不支給
東京地裁
(2026年4月13日判決)
これらの出来事を一体的に捉え直して評価 「強」 → 処分取消

(2)「明確なパワハラ」を否定しつつ業務起因性を肯定

注目すべきは、判決が「GMの言動単独では明確なパワハラになるとまでは認定できない」としたうえで、なおも業務起因性を肯定した点である。すなわち、本判決は「パワハラがあったから労災になった」という構図ではない。

代わりに判決が認定した心理的負荷の構造は、報道によれば次の3要素の累積である。@指導体制の欠落(GMと先輩のいずれもOJT責任を負う認識がなく、業務指示も乏しかった)、AGMの不適切な言動の累積(詰問調の指摘、評価面談での発言等)、B会社側の事後対応が心理的負荷を助長する不適切なものであったこと。これらを総合し、判決は心理的負荷を「強」と評価した。

4. 当法人が考える実務的含意

(1)「複数出来事の総合評価」の運用が司法的に確認された

心理的負荷による精神障害の認定基準(令和5年9月1日改正)の別表1は、複数の出来事が認められる場合、それぞれの心理的負荷の強度と相互関係を踏まえて全体としての心理的負荷の強度を判断する旨を定めている。本判決は、この「全体評価」を行政庁が必ずしも適切に実施していない場合に、司法が事実上是正し得ることを示した。

企業の労務管理上は、「個々の出来事は重大ではない」と社内で評価される事象であっても、同一従業員に複数の心理的負荷要因が累積している場合、最終的に「強」と評価されるリスクがあることを前提とする必要がある。

(2)「指導の不在」も心理的負荷を構成する

本件で重要なのは、「叱責された」ことよりも、「指導されるべき場面で指導が機能しなかった」ことが心理的負荷の中核を構成した点である。出向先における指導担当者の認識不一致(E氏はF氏が指導者だと考え、F氏はそうではないと考えていた)という事実は、形式的な指導体制があれば回避できた問題である。出向受入計画書・OJT責任者の明示・定期面談の設計など、「指導の所在」を文書で確定する仕組みが、労務リスクの観点から極めて重要となる。

(3)パワハラ防止法対応の射程が広がる

労働施策総合推進法上のパワハラ該当性が否定されても、労災保険上の業務起因性は別個に成立し得る。パワハラ防止指針に基づく社内研修・相談窓口の整備だけでは、精神障害労災の予防として十分とはいえない場面があることを、本判決は示している。当法人としては、ハラスメント対策に加え、OJT設計・賞与面談の進め方・若手社員への声かけ手順といったマネジメント実務そのものの設計支援が、今後ますます重要になると考えている。

5. 経営者・人事担当者が今期中に着手すべき事項

✓ 出向・配置転換時の「指導責任者」を文書で明示する

出向覚書・配置転換通知書において、OJT担当者を氏名で特定し、当該担当者にもその旨を書面で通知する。「先輩が見るだろう」「上司が見るだろう」という相互期待のすき間を防ぐ運用が必要である。

✓ 入社2〜3年目社員の配置先における指導記録の整備

月次の1on1や業務指示の記録を残すことで、「指導が機能していた」ことを客観的に示す資料を蓄積する。

✓ 評価面談(人事考課・賞与面談)の発言ガイドラインの整備

本件で問題視された「いつまでもお客さまじゃどうかな」のような発言は、評価者個人の表現上の癖から生じやすい。発言例集とNG例集を整備し、評価者研修で具体的に共有することが有効である。

✓ 心理的負荷の累積を把握する仕組み

ストレスチェック(年1回)に加え、パルスサーベイや上司を介さない相談窓口(社外EAP・内部通報窓口)を整備し、「個別事象は軽くても累積で重い」状態を早期に把握する。

✓ メンタル不調の予兆発見後の「会社の事後対応」マニュアル化

本判決が「会社の事後対応の不適切さ」を心理的負荷の助長要因として認定したことを踏まえ、産業医面談・上長による配慮・業務調整のフローを事前にマニュアル化しておく。

6. おわりに ― 「単一の決定打」ではなく「累積」を見る姿勢へ

本判決は、亡くなった社員の遺族にとって長年の労災申請・訴訟の末に得られた結果である。司法判断としての確定までには控訴・上告の経過を見守る必要があり、本稿執筆時点(2026年5月)で国側の控訴の有無は当法人として確認できていない。

ただ、確定の有無にかかわらず、企業実務において本判決が突きつける問いは明確である。すなわち、「個々の出来事は労災認定基準の『強』に該当しない」という従前型の安心は、もはや成り立たないということだ。労務管理は、単一の重大事案を防ぐだけでなく、軽微な事案の累積が一人の従業員に集中する状態を可視化し、解消する設計へとアップデートする必要がある。

当法人は、経営者と共に歩き、最善の解を導き出すというミッションのもと、本判決を契機とした顧問先の労務管理体制の見直しを支援する。出向受入体制・OJT設計・評価面談ガイドライン・心理的負荷の累積把握など、本判決から導かれる実務上の検討事項は多岐にわたる。具体的な見直しをご検討の経営者・人事責任者の方は、ぜひ当法人までご相談いただきたい。

▶ 当法人にご相談

<関連する当法人サービス>

労働紛争解決(労災・メンタル不調対応含む)

就業規則作成・改訂(出向規程・ハラスメント関係規程の整備)

高難度業務対応型顧問(精神障害労災予防コンサルティング)

IPO労務監査・改善支援(労務リスクの組織的可視化)

【根拠法令・参考】

・労働者災害補償保険法16条の2(遺族補償給付)

・厚生労働省「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(令和5年9月1日付け基発0901第2号)

・労働施策総合推進法30条の2(職場におけるパワーハラスメント対策)

・本件判決:東京地裁令和8年4月13日判決(小原一人裁判長)/報道:日本経済新聞・時事通信・テレビ朝日・NHK・弁護士ドットコムニュース・弁護士JPニュース(いずれも2026年4月)

【免責事項】本記事は、各種報道に基づき2026年5月27日時点で確認できる事実関係を整理したものである。判決文の原本に基づく分析ではなく、報道機関の報じた事実認定の範囲で記載している。判決確定の有無、控訴審の動向、判決文公表後の評釈等により記載内容が修正される可能性がある。個別具体的な事案への適用については、当法人または法律事務所への個別ご相談を推奨する。

執筆者

三重 英則(みえ ひでのり)

社会保険労務士法人T&M Nagoya 社員

特定社会保険労務士/経営心理士/経営法曹会議賛助会員
労働紛争解決・IPO労務監査・高難度労務問題対応を中心に、経営者と共に歩く実務を担当。