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「賞与を非正規に払わないのは、最高裁が大阪医科薬科大学事件で認めたから大丈夫」――顧問先の経営者から、いまだにこうした趣旨の発言を耳にすることがあります。しかし、これは最高裁判決の結論だけを切り取った、極めて危うい理解です。 2026年3月31日、鹿児島地裁名瀬支部が言い渡した奄美市開発公社事件の判決は、まさにこの誤解を打ち砕くものでした。市が全額出資する開発公社に対し、有期雇用職員への通勤手当の差と賞与の不支給をいずれも不合理と認定し、約590万円の損害賠償を命じています。地裁支部の判決ではありますが、同一労働同一賃金の実務に強いメッセージを放つ事案です。 本記事では、当法人が同一労働同一賃金関連の規程整備・待遇差説明書作成を顧問先と進めてきた実務感覚を交えながら、本判決の事案・争点・判断理由を読み解き、最高裁の同一労働同一賃金5判決との関係を整理します。 1.事案の概要当事者と雇用の経緯原告は、鹿児島県奄美市が全額出資する奄美市開発公社で働いていた男性です。男性は2012年4月から2019年3月までの約7年間、有期労働契約に基づき勤務し、主に公園の施設管理業務に従事していました。 被告である奄美市開発公社は、自治体が全額出資して設立された、いわゆる第三セクターに分類される公的法人です。公園・体育施設・観光施設などの管理運営を担うこの種の公社・事業団では、無期雇用の正職員と有期雇用の嘱託・臨時職員が現場で混在して働いているのが通常の姿であり、本件もまさにその典型的な構造の中で発生した紛争です。 何が争われたのか男性が問題視したのは、同じ職場で働く無期雇用職員には支給される@通勤手当とA賞与(一時金)が、有期雇用である自分には支給されない(あるいは金額が異なる)ことでした。男性は、これが雇用期間の有期・無期という違いだけを理由とした不合理な労働条件の格差であるとして、公社に損害賠償を求め提訴しました。
2.適用法令と判断枠組み ― 旧労働契約法20条原告が在籍した2012年4月〜2019年3月の時期に有期・無期間の労働条件の相違を規律していたのは、旧労働契約法20条(2013年4月1日施行、2020年4月1日にパート・有期雇用労働法8条へ移行)です。同条は、有期契約労働者と無期契約労働者との間の労働条件の相違について、次の3要素を考慮して「不合理と認められるものであってはならない」と定めていました。
ここで読者にぜひ押さえていただきたいのは、現行のパート・有期雇用労働法8条も基本的にこの枠組みを引き継いでいるという点です。2019年以前の事案を扱った本判決の判断枠組みは、現在の実務にもそのまま通用します。「旧法だから関係ない」と読み飛ばすのは大きな誤りです。 そして、最高裁がハマキョウレックス事件・長澤運輸事件(いずれも最高裁第二小法廷 平成30年6月1日判決)で確立したのが、次の「個別判断の原則」です。
本件の鹿児島地裁名瀬支部も、この最高裁の枠組みに忠実に従って、通勤手当と賞与を別々に検討しています。 3.判決内容 ― 通勤手当・賞与ともに不合理鹿児島地裁名瀬支部の吉岡知紀裁判官は、2026年3月31日、原告の請求を大幅に認め、公社に約590万円の損害賠償の支払いを命じました。判断のポイントは、報道で明らかにされている範囲では次の2点に集約されます。 (1) 通勤手当の差は不合理吉岡裁判官は、次のとおり判示しました。
これは極めて常識的かつ説得的な論理です。通勤手当は、労働者が通勤に実際に要する交通費を補填することを趣旨・目的とする手当です。自宅から職場までの距離も、必要な交通費も、その労働者が有期契約か無期契約かによって1円も変わりません。手当の趣旨に立ち返れば、有期・無期で差を設ける合理的な理由がそもそも存在しないのです。 この判断は、最高裁ハマキョウレックス事件が「通勤手当を契約社員に支給しないのは不合理」と判断したのと同じ論理に立つもので、確立した判例法理に沿うものといえます。 (2) 賞与の不支給も不合理 ― ここが本判決の核心さらに踏み込んで、吉岡裁判官は有期雇用の職員に「賞与を支給しないことは不合理だ」とも判断しました。本判決の最大の注目点はここにあります。 賞与については、最高裁(大阪医科薬科大学事件 平成30年(受)第1819号 令和2年10月13日判決)がフルタイムのアルバイト職員への不支給を「不合理ではない」と判断したことから、実務の現場では「賞与は払わなくてよい」という単純化された理解が広まっていました。本件で名瀬支部が真正面から賞与の不支給を不合理と断じたことは、その短絡的理解が成り立たないことを改めて示すものです。 4.なぜ「賞与不支給は不合理」と判断されたのか ― 最高裁判決との射程の違いを読むここからが本記事の核心です。「最高裁は大阪医科薬科大事件で賞与不支給を認めたのに、なぜ本件では不合理とされたのか」――この問いに答えられて初めて、経営者・人事担当者は適切な意思決定ができます。 大阪医科薬科大学事件の「射程」を正しく理解する大阪医科薬科大学事件で最高裁が賞与不支給を「不合理ではない」とした決め手は、おおむね次の事情でした。
つまり、大阪医科薬科大事件は「賞与だから不支給でよい」と言ったのではなく、「その大学の正職員とアルバイトの間には、職務内容・人材活用の仕組みに賞与の差を正当化できるだけの実質的な違いがあった」という、極めて事案依存的な当てはめの結論だったのです。 本件の構造的な違い ― 7年間の現場業務という事実これに対し本件では、原告は主に公園の施設管理業務という、無期職員と実質的に共通する現場業務に約7年間従事しています。公園・施設管理という現場で、有期職員と無期職員の職務内容や責任の程度に、賞与の差を正当化できるほどの大きな相違を見出すのは、当法人の実務感覚からも容易ではありません。 ここで重要なのは、最高裁が確立した枠組みでは、賞与の合理性判断は個々の賃金項目の趣旨・正社員側との相違・その他の事情を総合して行うとされる点です。したがって、裁判所が賞与不支給を不合理と判断したからといって、特定の一要素のみで結論が決まったわけではありません。あくまで本件の勤務実態と賞与の趣旨を総合した結果、有期・無期の相違は賞与不支給を正当化するほど大きくなかったと評価された、と読むのが安全です。 そのうえで、報道で明らかになっている事実関係(約7年間にわたる公園施設管理業務という現場業務への従事)から、次の点までは自然に推認できます。
賞与の性質についても、判決要旨だけでは明らかでないものの、純粋な業績連動・功労報奨というより、基本給の後払い的・生活給的な性格を帯びていたと認定された可能性は示唆されます。いずれにせよ、本判決の方向性は、日本郵便(大阪・東京・佐賀)事件の最高裁判決(令和2年10月15日)が、扶養手当・年末年始勤務手当・夏期冬期休暇・病気休暇などについて「契約社員にも支給すべき」と次々に不合理を認定した流れと軌を一にするものといえます。
5.公的セクター・第三セクターに特有の論点本件のもう一つの重要な側面は、被告が自治体が全額出資する公社(第三セクター)であった点です。公社・事業団・社会福祉協議会・指定管理者などの公的・準公的法人には、次のような構造的特徴があります。
当法人がこれまで公的法人の労務管理に関する各種実務を観察してきた中でも、「うちは公的機関だから」という意識が改正対応の遅れを生んでいるケースは少なくないと感じます。本判決は、公的セクターにおける処遇格差にも旧労契法20条(現パート・有期雇用労働法8条)が容赦なく適用されることを示した点で、自治体出資法人・指定管理者に強い警鐘を鳴らすものといえます。 なお、地方公務員法の適用を受ける会計年度任用職員等とは法的枠組みが異なりますが、労働契約法・パート有期法が適用される公的法人の有期職員は本判決の射程に入ります。 6.実務上のポイント ― 経営者・人事担当者が今すべき5つの行動(1) 手当の「趣旨・目的」を1つずつ棚卸しする通勤手当・皆勤手当・食事手当・作業手当など、実費補填的・職務関連的な手当は、有期・無期で差を設ける合理的理由を説明しにくく、不支給・減額は不合理と判断されやすい類型です。賃金規程上の全手当について「この手当は何のために払っているのか」を言語化し、有期職員に支給していない手当がないかを総点検することが第一歩です。 (2) 「賞与・退職金は払わなくてよい」という思い込みを捨てる最高裁が不支給を認めたのは特定の事案にすぎません。有期職員の職務内容・責任・異動範囲が正職員とほぼ同じであれば、賞与・退職金の不支給は違法になり得ます。「正職員と何が、どう違うのか」を客観的資料(職務記述書・組織図・異動実績)で説明できるかが分水嶺です。 (3) 待遇差の「理由」を文書で説明できる状態を作るパート・有期雇用労働法14条は、事業主に対し、有期・パート労働者から求められた場合に正社員との待遇差の内容・理由を説明する義務を課しています。「説明できない待遇差」は、そのまま「不合理な待遇差」と評価されるリスクに直結します。当法人では、待遇ごとの差の理由を整理した説明文書のひな型整備を顧問先と進めていますが、これが訴訟予防の最も効果的な備えだと考えています。 (4) 是正は「正職員の引き下げ」ではなく慎重な制度設計で格差是正というと「正職員の手当を下げて揃える」という発想に走る経営者がいますが、不利益変更には合理性と手続が必要で、新たな紛争の火種になります。有期職員側への支給を含めた総額人件費のシミュレーションを踏まえ、計画的に是正する設計が不可欠です。 (5) 公的セクターほど点検を急ぐ自治体出資法人・社会福祉協議会・指定管理者は、「公的だから大丈夫」という油断が最も危険です。本判決はその好例であり、関係する組織は本判決を契機に処遇格差の総点検に着手すべきタイミングといえます。 7.おわりに ― 「待遇差を理由とともに説明できるか」が問われる時代奄美市開発公社事件は、地裁支部の判決ではあるものの、通勤手当の差と賞与の不支給をいずれも不合理と認定し、約590万円という決して小さくない賠償を命じた点で、実務に強いメッセージを放っています。 同一労働同一賃金は、もはや大企業だけの問題でも、民間だけの問題でもありません。中小企業・公的法人を問わず、「待遇差を、その理由とともに説明できるか」が問われる時代に入っています。 当法人は、最高裁判決の結論だけを切り取った"誤った安心感"を解きほぐし、手当・賞与の趣旨に立ち返った地道な制度点検を、経営者の皆様と伴走しながら進めていきます。本判決は、その対話を始める絶好の素材となるはずです。
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