トップ
事務所案内
お問合せ
労務コンテンツ一覧
サービス案内
人事労務ニュース
リーフレット
リンク先
IPO労務監査・改善
M&A労務監査
労働問題解決
高難度業務対応
就業規則作成・改定
給与監査顧問
給与計算代行
手続代行・手続監査
裁判例紹介・ブログ
作成日:2026/05/12
【実務】M&A実務における労務リスクの構造と対策 ─スキーム別の承継ルールと労務デューデリジェンスの要諦

M&A LABOR RISK MANAGEMENT

M&A実務における労務リスクの構造と対策
──スキーム別の承継ルールと労務デューデリジェンスの要諦

買収価格や財務数字の精査に注力する一方で、
帳簿に表れない「労務リスク」が買収後の経営を圧迫する事案が後を絶ちません。
当法人の労務デューデリジェンス実務知見から、その構造と対策を解説します。

M&A・事業承継   労務デューデリジェンス   労務統合

📌 本記事の要点

@ M&Aスキーム(合併・株式譲渡・事業譲渡・会社分割)ごとに労働契約の承継ルールが大きく異なる
A 未払残業代・社会保険未加入・退職給付債務は、財務諸表に現れない「隠れ債務」として買収後に顕在化する
B 2024年10月の社会保険適用拡大、2026年10月の賃金要件撤廃により、未加入リスクの規模はさらに拡大している
C 労務デューデリジェンスは「義務的調査項目」と「任意的調査項目」に区別して優先度をつけて実施する
D 表明保証条項の設計と買収価格への反映が、買収後リスクを最小化する実務上の鍵となる

1. なぜM&Aで「労務リスク」が財務リスクを凌ぐのか

M&Aの検討段階で経営者の意識が最も向きやすいのは、買収価格・株価・EBITDA・のれん代といった財務数値です。しかし、当法人がM&A支援の現場で繰り返し直面してきた現実は、買収後に経営を最も圧迫するのは財務上の数字ではなく、労働関係に由来する「隠れ債務」であるという事実です。

労働に由来する潜在債務は、「簿外債務」(本来計上すべきところ計上されていない債務)と「偶発債務」(一定の事象が発生した場合に債務化する潜在債務)に大別されます。前者の典型例が未払残業代、後者の典型例が労働紛争や労働災害に伴う損害賠償です。これらは取締役の善管注意義務との関係でも、買収意思決定前に最低限調査すべき「義務的調査項目」と整理する考え方が定着しつつあります。

💼 当法人の実務視点

財務デューデリジェンスのみで意思決定したM&A取引において、買収後に過去3年分の未払残業代として数千万円規模の請求を受ける事案は、当法人の経験上決して例外的なものではありません。労務由来の潜在債務は、買収価格交渉の段階で適切に反映されなければ、M&Aの想定シナジーをそのまま打ち消す規模になり得ます。

2. M&Aスキーム別の労働契約承継ルール

M&Aのスキームによって、労働契約の承継方法と必要な手続きは法律上大きく異なります。スキームの選択を誤れば、買収後に労働者からの地位確認請求や損害賠償請求を受けるリスクがあります。

2-1. 合併(吸収合併・新設合併)──包括承継

合併は会社法上の包括承継であり、消滅会社の労働契約は当然に存続会社・新設会社に承継されます。労働者の個別同意は不要であり、労働条件もそのまま維持されることが原則です。

ただし、「個別同意が不要」であることと「合併後に解雇や配置転換が一切できない」こととは別問題です。合併後の経営合理化として行う整理解雇は、整理解雇の4要素(人員削減の必要性・解雇回避努力・人選の合理性・手続の相当性)を満たす限り可能ですが、これを欠く場合は解雇権濫用(労働契約法16条)として無効となります。実務上の課題は、異なる人事制度・賃金体系・退職金制度・福利厚生の統合スキーム設計に集約されます。

2-2. 株式譲渡──法人格は維持される

株主が変わるだけで会社の法人格は維持されるため、労働契約・取引契約・各種許認可も基本的にそのまま継続します。労務上の手続きは最小限ですが、経営方針や経営陣の交代はキーパーソンの心理的動揺を引き起こしやすく、流出防止策(リテンション)の事前設計が成否を分けます。

2-3. 事業譲渡──個別同意が法律上必須

事業譲渡は特定承継であり、譲渡対象資産・契約を個別に特定して移転します。労働契約の承継については民法625条1項により、労働者ごとの個別同意が必須となります。

⚠️ よくある法的誤解にご注意ください

事業譲渡で個別同意なく転籍を強行した場合のリスクとして、しばしば「不当労働行為になる」と説明される文献がありますが、これは法律的に正確ではありません。

「不当労働行為」(労働組合法7条)は、労働組合員に対する不利益取扱・支配介入・団交拒否等を指す概念であり、個別同意の欠如そのものとは異なる法律問題です。実際のリスクは、@民法625条1項違反として承継自体が無効となり労働契約上の地位確認請求を受ける、A不当な目的が認定されれば法人格否認の法理公序良俗違反(民法90条)により譲受会社への承継が認められる(東京高判平14年2月27日労判824号17頁・青山会事件等)、B労働組合員を狙い撃ちで排除した場合に限り不当労働行為(労働組合法7条1号)が問題となる、という3つに整理されます。

実務上は、対象労働者全員から真意に基づく同意書を取得することが必要であり、その前提として労働条件・処遇・勤続年数の取扱い・退職金の処理について、十分な説明と検討期間を確保する必要があります。詐欺・強迫による同意は民法96条により取消しの対象となります。

2-4. 会社分割──労働契約承継法による所定手続が必須

会社分割は包括承継であり、分割計画書等に「承継する」と記載された労働者の労働契約は、当然に承継会社等に承継されます(会社の分割に伴う労働契約の承継等に関する法律3条)。

しかし、合併と異なり労働者保護のための所定手続が法律上義務付けられている点に注意が必要です。具体的には以下の4段階の手続を経る必要があります。

手続 内容
7条措置 分割会社が雇用するすべての労働者の理解と協力を得るための協議(過半数労働組合または過半数代表者)
5条協議 承継対象事業に従事する個々の労働者との個別協議
2条通知 分割効力発生日の前日までに、対象労働者・労働組合への書面通知
異議申立権 主たる従事労働者が承継対象から外された場合、または従たる従事労働者が承継対象とされた場合の異議申立て

これらの手続を欠いた場合、労働者は労働契約の承継・不承継について事後的に争うことができます(最高裁平成22年7月12日判決・日本IBM事件)。形式的な書面手続だけでなく、個別協議における説明の十分性が司法判断の対象となる点に留意が必要です。

3. M&Aで顕在化する典型的な労務トラブル

3-1. 未払残業代の遡及請求

賃金請求権の消滅時効は、労基法115条改正(2020年4月)以降、本則5年・経過措置として「当分の間」3年とされています(労基法附則143条3項)。現行の時効期間3年が将来5年に延長されれば、リスクの規模は単純計算で1.6倍以上となります。

特に注意が必要なのは、固定残業代制度を採用している企業です。@明確区分性、A対価性、B実労働時間の把握と差額精算、C割増賃金額の表示——これらの要件を満たさない固定残業代は、判例上は固定残業代としての効力が否定され、結果として基本給ベースで再計算した残業代との差額が請求対象となります。労務DDの場面では、給与明細・賃金台帳・勤怠記録の3点照合で実態を精査します。

3-2. 社会保険・労働保険の未加入問題

小規模事業者では、労働時間や賃金が短時間労働者の加入要件を満たしているにもかかわらず、「パート・アルバイトだから対象外」と誤解して社会保険に加入させていない事例が散見されます。M&A後に年金事務所による調査・是正勧告を受け、最大2年分の追徴保険料を一括で支払うリスクがあります。

3-3. 退職金規程の不備と退職給付債務

退職金規程はあるが運用実態と乖離している、口約束で退職金支給の慣行が形成されている、退職金規程の改定手続が不適法、といった事例が中小企業では珍しくありません。労務DDでは、退職金規程の有無・運用実態に加え、中小企業退職金共済(中退共)、確定給付企業年金(DB)、企業型確定拠出年金(DC)の加入状況、積立水準、退職給付債務(PBO)の規模まで精査します。積立不足が判明した場合、買収価格への反映が必要となります。

3-4. キーパーソンの離脱による事業価値毀損

M&Aの心理的影響は経営者層が想像する以上に大きく、特に技術系企業・サービス業・士業系では「人材」こそが企業価値の源泉です。キーパーソンの流出は、買収によって取得したのれん代を一気に毀損させかねません。リテンションプラン(ストックオプション・残留ボーナス・ポジション保証等)の事前設計と、ロックアップ条項・キーパーソン条項のM&A契約への組込みが実務上の鍵となります。

3-5. 労働条件格差と同一労働同一賃金

パートタイム・有期雇用労働法は、2021年4月から中小企業も含めて全面施行されています。同法8条(均衡待遇)・9条(均等待遇)に基づく不合理な待遇差の禁止は、M&A後の人事制度統合の場面で直接的な法的リスクとなります。同一企業内において、職務内容・配置変更の範囲等に照らして待遇格差が「不合理」と判断されれば、損害賠償請求の対象となり得ます。

4. 社会保険適用拡大の動向と影響

短時間労働者に対する社会保険の適用拡大は段階的に進行しており、M&A対象企業の未加入リスクの規模は年々拡大しています。2025年6月13日に成立した年金制度改正法により、2026年10月の賃金要件撤廃と、2027年10月以降の企業規模要件段階的撤廃が法定化されました。労務DDの場面では、現行ルールだけでなく今後施行される改正内容も踏まえてリスクを評価する必要があります。

▼ 短時間労働者に対する社会保険適用拡大の動向

時期 企業規模要件 賃金要件・その他
2016年10月 501人以上 月額8.8万円以上等
2022年10月 101人以上 雇用見込み「2か月超」に変更
2024年10月
(施行済み)
51人以上 月額8.8万円以上(変更なし)
2026年10月
(施行予定)
51人以上(次段階の準備期) 賃金要件(月額8.8万円・「106万円の壁」)撤廃
2027年10月〜
2035年10月
(施行予定)
企業規模要件を段階的に撤廃 最終的に企業規模を問わず、週20時間以上労働で社会保険加入義務

💼 当法人の実務視点

M&A対象企業の社会保険加入状況を評価する際は、「現行ルール下での未加入」と「将来の改正で新たに加入義務が生じる対象」の両面から保険料増加額を試算する必要があります。特に小売・飲食・サービス業のように短時間労働者比率が高い業種では、2026年10月以降の保険料負担増が企業損益に与える影響は大きく、買収価格交渉や統合後の収益見通しに反映させるべき項目です。

5. 労務デューデリジェンス(労務DD)の実務

5-1. 義務的調査項目と任意的調査項目

労務DDの調査範囲は広範に及びますが、当法人では実務上、調査項目を「義務的調査項目」と「任意的調査項目」に区別する考え方を採用しています。義務的調査項目とは、これを調査せずに買収意思決定をした結果として高額な隠れ債務が顕在化した場合、取締役の善管注意義務違反を問われかねない項目です。具体的には、未払賃金・未払社会保険料・退職給付債務といった定量的に算定可能な簿外債務がこれに該当します。

5-2. 主要なチェックポイント

✅ 労務DDの主要チェックポイント

未払残業代:勤怠記録・賃金台帳・給与明細の3点照合、固定残業代制度の有効性検証
社会保険・労働保険:全従業員の加入状況、短時間労働者の加入要件充足確認、追徴保険料リスクの試算
就業規則・労使協定:労基署への届出状況、36協定の適法な締結・周知、過半数代表者選出手続の民主性
退職給付制度:退職金規程・中退共・DB・DCの加入状況、PBO算定、積立不足の有無
名ばかり管理職:管理監督者(労基法41条2号)該当性の判定、未払残業代の偶発債務リスク
労働紛争・労働災害:過去のハラスメント相談、労働審判・訴訟、是正勧告、労災発生履歴
労働組合との関係:労働協約の内容、団体交渉履歴、組合加入状況
同一労働同一賃金対応:正規・非正規間の待遇格差の合理性、待遇差の説明体制

6. M&A後の労務統合と契約上の手当

6-1. 表明保証条項(レプワラ)への反映

労務DDで把握しきれなかったリスクに備え、M&A契約には労務関連事項を表明保証条項に詳細に規定することが重要です。具体的には、「未払賃金が存在しないこと」「労働法令違反の事実がないこと」「労働紛争・労働組合との未解決事項がないこと」「社会保険料の納付に遅滞がないこと」等を売主に表明保証させ、買収後に虚偽が判明した場合の補償体制を構築します。

6-2. 段階的な制度統合アプローチ

買収先の人事制度・賃金制度・退職金制度を一斉に統合することは、不利益変更となる労働者からの強い反発を招きます。労働契約法9条・10条の要件(合理性・周知)を満たさない不利益変更は無効となります。当法人では、買収後一定期間は買収先の制度を維持しつつ、統合方針を段階的に示していくアプローチを推奨しています。

6-3. 労使協定・就業規則届出主体の見直し

M&Aスキームによっては、36協定をはじめとする労使協定の効力や、就業規則の届出主体が変更されることがあります。特に事業譲渡では、買収先で締結されていた労使協定は譲受会社には承継されず、譲受会社側で改めて締結し直す必要があります。過半数代表者の選出手続が形骸化していると、36協定そのものが無効と評価されるリスクがあり、結果として時間外労働全体の労基法違反(労基法32条違反、6箇月以下の拘禁刑または30万円以下の罰金、労基法119条1号)に発展しかねません。

7. 当法人がM&A当事者にお伝えしていること

M&Aは経営戦略の重要な一手段であり、企業の未来を切り拓く可能性を秘めた取引です。しかし、当法人がM&A支援の現場で繰り返し申し上げているのは、「数字の精査」と「人の精査」は車の両輪であり、片方を欠いた取引は成立しても成功には至らないという事実です。

未払残業代、社会保険の未加入、退職給付債務、不適切な労使協定、待遇格差の放置——これらはすべて「人」を介して発生する問題であり、その解決を誤れば、M&Aで取得しようとした企業価値そのものが瓦解しかねません。一方で、適切な労務DDと統合戦略を経たM&Aは、買収先の人材・組織能力を最大限に活かし、想定以上のシナジーを生み出します。

当法人は、M&A当事者の皆様に対し、買収検討段階での労務DD、買収契約交渉段階での表明保証条項設計、買収後の人事制度統合・労務管理体制構築まで、一連のプロセスを伴走型でご支援しております。「経営者と共に歩き、最善の解を導き出す」——当法人のミッションは、M&Aという経営の重大局面においてこそ真価を発揮するものと確信しております。

🔗 関連サービスのご案内

M&A検討段階での労務リスク把握には、当法人の給与監査サービスが有効です。未払残業代の精緻な試算、固定残業代制度の有効性評価、社会保険加入要件の点検を一括で実施いたします。

給与監査サービス

M&A後の人事制度統合・就業規則改定については、就業規則作成・改定サービスでご支援いたします。買収先の制度実態を踏まえた統合就業規則の設計、不利益変更を伴う場合の合理性確保、過半数代表者選出手続の適正化までトータルにサポートします。

給与計算アウトソーシング

M&A労務リスクのご相談はこちら →

初回相談は無料でお受けしております。秘密厳守にてご対応いたします。

▼ 根拠法令・参照資料

民法625条1項、民法90条、民法96条/労働基準法32条・41条2号・115条・119条1号、同附則143条3項/労働契約法9条・10条・16条/労働組合法7条/会社法467条以下、758条以下/会社の分割に伴う労働契約の承継等に関する法律2条・3条・5条・7条/パートタイム・有期雇用労働法8条・9条/健康保険法、厚生年金保険法/社会経済の変化を踏まえた年金制度の機能強化のための国民年金法等の一部を改正する等の法律(令和7年法律第27号)/厚生労働省告示「事業譲渡又は合併を行うに当たって会社等が留意すべき事項に関する指針」(平成28年厚生労働省告示第318号)/最高裁平成22年7月12日判決(日本IBM事件)、東京高裁平成14年2月27日判決(青山会事件・労判824号17頁)等

▼ 免責事項

本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別事案への法的助言ではありません。実際のM&A取引における労務リスク評価および契約条項の設計は、対象企業の業種・規模・労務管理実態によって個別判断を要します。具体的なご検討にあたっては、必ず社会保険労務士・弁護士等の専門家にご相談ください。本記事の内容は2026年5月時点の法令・行政解釈・判例に基づいており、その後の法改正等により内容が変更される場合があります。

AUTHOR

三重 英則(みえ ひでのり)

社会保険労務士法人T&M Nagoya 社員

特定社会保険労務士/経営心理士

経営法曹会議賛助会員

中小企業から成長企業まで、人事労務に関する伴走型コンサルティングを提供。M&A・IPO支援における労務デューデリジェンス、人事制度設計、就業規則整備、労使紛争予防まで、経営者と共に最善の解を導き出すことをミッションとする。