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作成日:2026/05/06
【裁判例】1年超の「自分で出向先を探せ」は違法な退職勧奨 旭化成エレクトロニクス事件(東京地判令和8年1月13日)に学ぶ、配置転換と退職勧奨の境界線
最新裁判例 人事労務

1年超の「自分で出向先を探せ」は違法な退職勧奨

旭化成エレクトロニクス事件(東京地判令和8年1月13日)に学ぶ、配置転換と退職勧奨の境界線

2026年5月4日 / 社会保険労務士法人T&M Nagoya

📌 本記事の要点

@ 東京地裁は、人事室付への配転命令そのものは適法と判断した一方で、その後1年超にわたりグループ外の出向先を自ら探させた運用を違法な退職勧奨と評価し、55万円の損害賠償を命じた。
A 「配転命令の有効性」と「配転後の運用の相当性」を明確に切り分けた判断枠組みは、いわゆる「追い出し部屋」型運用に対する司法の警告と評価できる。
B 企業側は、業務分掌のないポストへの配転、社用携帯・名刺の不交付、長期化する「自己探索」、退職パッケージの併存といった四つの兆候が常態化していないかを早急に点検する必要がある。

「君のスキルを活かせる部署はもうない。グループ外で出向先や転籍先を自分で探してきてほしい」――。

中堅・大企業の現場で散発的に報じられてきた、いわゆる「追い出し部屋」「リストラ部屋」と呼ばれる人事運用がある。明確に解雇するのではなく、業務らしい業務を与えず、自ら会社を去ることを促す。社員の自由意思を尊重した「退職勧奨」の体裁を取りながら、その実態は事実上の「退職強要」に限りなく近い。

2026年1月13日、東京地方裁判所はこうした人事運用に対して重要な判断を示した。旭化成エレクトロニクス事件である。本稿では、本判決を題材として、配転命令と退職勧奨の境界線、そして当法人として企業に何を助言すべきかを整理する。

1. 事案の概要

(1) 当事者と配転に至る経緯

本件の被告会社は、半導体・電子部品の開発・製造・販売を主たる業務とする旭化成グループの中核企業である旭化成エレクトロニクス株式会社。原告は50代の男性社員で、2011年に同社に入社し、半導体などの製品開発関連部署に配属されて以降、長年にわたり技術職としてキャリアを積んできた。

同氏については、入社以降、同僚や取引先との間で複数回にわたりトラブルがあったとされている。会社側はこうした状況を踏まえ、2023年9月、それまでの製品開発関連部署から「人事室付」への異動を命じた。

(2) 配転後の状況と退職提案

■ 配転後に原告に生じた状況

業務として指定されたのは「グループ外への出向先・転籍先を探すこと」
社用携帯電話・名刺の交付なし
通常業務の割り当てなし。本社人事担当者とのウェブ面談や履歴書・職務経歴書作成に従事
異動から1年以上経過しても、出向先・転籍先は決まらず

2024年1月、会社は原告に対し、解決金と退職金を合わせて約6,000万円を条件とする退職提案を行ったが、原告はこれを受諾しなかった。その後も会社からの「自分で出向先を探すように」との指示は継続し、結果として原告は1年を超える期間、実質的な業務を与えられないまま、自ら社外の受け入れ先を探し続ける状況に置かれた。

原告はこの一連の経過を不服として、慰謝料330万円などの損害賠償を求める訴訟を東京地方裁判所に提起した。

2. 主たる争点

本件の主たる争点は、次の2点に整理される。

争点 内容
争点@ 「人事室付」への配置転換命令そのものが、人事権の濫用または違法な業務命令に該当するか
争点A 配転後にグループ外の出向先・転籍先を1年超にわたり自ら探させた行為が、社会通念上相当な範囲を超え、違法な退職勧奨に該当するか

原告は、「命じられた業務は事実上の転職活動であり、転職活動が『業務』であることはあり得ない。よって配置転換命令そのものが違法である」と主張した。

これに対して会社側は、「コミュニケーション面の問題があり、社内に適切な配属先がなかったため、人事室付として外部の活躍の場を探すよう指示したものであり、業務上の必要性に基づく適法な人事権の行使である」と反論した。

3. 判決の内容

(1) 結論

東京地裁(中野哲美裁判官)は、原告の請求を一部認容し、被告会社に対し55万円の損害賠償の支払いを命じた。請求額330万円に対しておよそ6分の1の認容ではあるが、注目すべきはその判決理由の構造にある。

(2) 争点@について ― 配置転換命令自体は適法

裁判所はまず、人事室付への異動命令そのものについては、業務上の必要性が認められると判断した。原告には過去に同僚や取引先とのトラブルがあったこと、それを踏まえて新たな配属先を検討する必要があったことなどから、配転命令自体は違法とは認めなかった。

これは、最高裁判例(東亜ペイント事件、最判昭和61年7月14日)以来確立している配転命令の権利濫用判断基準――@業務上の必要性が存しない場合、A不当な動機・目的をもってなされた場合、B労働者に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせる場合のいずれかに該当しない限り、配転命令は権利濫用とならない――に従った判断である。

(3) 争点Aについて ― 1年超の出向先探しは違法

しかし、裁判所は配転後の運用については明確に違法と判断した。報道によれば、判旨の核心は次の点にある。

日本有数の企業グループ内で配属先をまったく見つけられないことは想定しがたく、1年を超えて外部の出向先を探し続けさせることは、社会通念上相当な範囲を超えており、違法な退職勧奨と評価せざるを得ない。

― 報道による判旨要旨

裁判所が違法性を認めた理由は、概ね次のように整理できる。

@ 企業規模と配属可能性の乖離 ― 旭化成グループは日本有数の巨大企業集団であり、グループ内に「適切な配属先が一つもない」という前提自体が客観的に成立しがたい

 

A 業務の不存在 ― 社用携帯・名刺すら交付せず、通常業務を与えなかったこと自体が、実質的に労働の機会を奪う措置である

 

B 期間の長期性 ― 1年を超える長期間にわたり「自分で出向先を探せ」と命じ続ける運用は、合理的な人事権の範囲を逸脱している

 

C 多額の退職パッケージの存在 ― 解決金・退職金合計約6,000万円の提示が併存していたことは、会社側に「本人を退職させたい」との意図があったことを推認させる

これらを総合し、裁判所は配転後の運用全体が実質的な退職強要に該当するとして、慰謝料相当額として55万円の支払いを命じたのである。

4. 判決の意義

(1) 「配転命令」と「配転後の運用」を切り分けた判断枠組み

本判決の最大の特徴は、「配転命令自体は適法」と認めつつ「配転後の運用は違法」と切り分けた点にある。これは、企業の人事権の行使を完全に否定するのではなく、行使後の運用に「相当性」を求めるという、現代的かつ実務的な判断枠組みを提示したものといえる。

過去にも、退職勧奨を拒否した社員に対する出向命令を人事権の濫用として無効としたリコー(子会社出向)事件(東京地判平25・11・12)など、いわゆる「追い出し部屋」型運用に対する違法判断は積み重ねられてきた。本判決は、その流れの中で、配転命令の有効性と配転後運用の相当性を二段階で審査する手法を、より明確な形で示したものと位置づけられる。

(2) 慰謝料額は低いが、波及効果は大きい

慰謝料認容額が55万円にとどまった点は、企業側からすると「想定の範囲内」と捉えられがちだが、本判決の真の影響はそこにはない。当法人としては、次の各リスクを企業に明確に伝える必要があると考える。

報道による信用毀損リスク ― 大手企業の人事運用が「違法」と認定された事実が報道されることによるブランド毀損
同種事案への波及 ― 同じグループ内・同業他社の同種運用に対する訴訟リスクの顕在化
株主・投資家からの目線 ― ESG・人的資本経営の観点からの企業評価への影響
社内モラルへの影響 ― 「会社は不要と判断した社員を追い出す」という暗黙のメッセージが社内に与える士気低下

(3) 「退職勧奨」と「退職強要」の境界

退職勧奨は、原則として企業の自由な活動の一環であり、それ自体が違法となるわけではない。下関商業高校事件(最判昭和55年7月10日)以来の確立した判例実務では、退職勧奨は被勧奨者の自由な意思形成を妨げない態様で行われる限り適法とされ、立会人の許否、勧奨者の数、勧奨の回数・期間、優遇措置の有無、言動の内容等を総合的に勘案して、自由な意思決定が妨げられる状況にあったか否かが違法性判断の基準となる。

そのため、勧奨が以下のような態様を伴う場合、違法な退職強要として不法行為(民法709条)が成立しうる。

長時間・多数回にわたる執拗な退職要求
業務を与えない、隔離するなどの圧力的措置
自尊心を傷つける言動
自由意思を制約する事実上の強制

本判決は、「業務を与えず、自分で出向先を探させ続ける」という消極的・間接的な手段による退職圧力も、長期化すれば違法な退職強要に該当することを明示した点に意義がある。

5. 実務上の留意点 ― 当法人からの提言

本判決を踏まえ、企業の人事担当者・経営者が今すぐ点検すべき事項を、当法人の視点から整理する。

✓ 「人事室付」「待機ポスト」運用実態の点検

特定業務を持たない「室付」「付」「特命担当」等の異動先が常態化していないかを確認する。とりわけ次の状況には注意が必要である。

異動から半年以上、具体的な業務分掌が定まっていない
社用携帯・名刺・PC・座席等の業務インフラが交付されていない
「自分で次の所属先を探す」ことが事実上の業務になっている
退職パッケージの提示と併存している

→ このような状況が認められる場合、遅くとも半年以内に、社内で具体的な業務を再付与するか、または公式な退職交渉のテーブルに移行することを検討すべき。1年を超えれば、本判決の射程に入るリスクが極めて高い。

✓ 退職勧奨の「適法な進め方」

退職勧奨を行う場合は、以下の点を遵守することが重要である。

@ 勧奨の理由を客観的かつ具体的に説明する(業績不振、組織再編、本人のパフォーマンス等)
A 勧奨は1〜2回程度にとどめ、本人の拒否意思が示されたら速やかに撤回する
B 威圧的・侮辱的な言動を避ける(録音される前提で言動を整える)
C 退職条件の提示は書面で行い、考慮期間を十分に与える
D 業務を取り上げない(勧奨と並行して業務を奪うことは違法評価のリスクが高い)

✓ 配置転換命令の適法性チェック

配転命令そのものは適法でも、本件のように配転後の運用が違法と評価されるリスクがある。配転命令の発令時には、以下を文書で残しておくべきである。

配転先で従事させる具体的業務内容
配転の必要性(業務上の理由)
業務遂行に必要な業務インフラの提供
一定期間経過後の再配置・再評価の方針

✓ 退職パッケージ提示の慎重な設計

本件で約6,000万円の退職パッケージが提示されたことは、結果的に「会社は当該社員を退職させたかった」ことの証左として裁判所に評価された。提示それ自体は適法だが、次の点を明確にすることで、後日の訴訟で「実質的な退職強要」と評価されるリスクを低減できる。

提示のタイミング(配転と同時期は避ける)
提示の方法(書面・複数人立会・録音可)
受諾しない場合の取扱い(業務復帰の保証)

✓ 就業規則・配転規程・出向規程の整備

就業規則・配転規程・出向規程等において、@配転命令の根拠と手続、A出向命令の根拠と手続(人選基準・期間・処遇)、B業務分掌の明確化が明文化されているかを点検する。曖昧な規程のもとで運用される人事措置は、紛争時に「会社の裁量権の濫用」と評価されやすい。

6. むすびに ― 「人を切る」のではなく「人を活かす」人事戦略へ

本判決は、企業の人事担当者・経営者に対し、根本的な問いを突きつけている。

「社内で活かせない社員を、本当に活かす方法は他にないのか」

人口減少と人手不足が常態化する2026年の日本において、いわゆる「リストラ部屋」型の運用は、もはや経営合理性の観点からも疑問視されつつある。一人の社員を退職に追い込むコスト(係争費用、退職パッケージ、社内モラルへの影響、レピュテーションリスク)は、その社員を再教育・再配置するコストを上回ることも珍しくない。

当法人としては、企業に対し次の観点からの助言を行うべきと考えている。

配転命令と退職勧奨を明確に区別する
業務を取り上げる行為は「最後の手段」とする
退職勧奨に至る前に、再教育・職務再設計の機会を尽くす
どうしても退職に至る場合は、合意退職としての書面化と相応の経済的補償を行う

「人を活かす人事」と「人を切る人事」は表裏一体である。本判決は、後者に走る企業に対する司法の警告であると同時に、前者を真摯に追求する企業を後押しする判断でもある。

労使紛争の予防は、就業規則の文言整備だけでは完結しない。日々の人事運用の積み重ねが、最終的には企業の信用と組織力を決定する。本判決を機に、自社の人事運用を点検する企業が一社でも増えることを願ってやまない。

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■ 根拠法令・参照判例

・労働契約法3条3項(権利濫用法理)、同法14条(出向命令の濫用)

・民法709条(不法行為に基づく損害賠償)

・東亜ペイント事件(最判昭和61年7月14日)― 配転命令の権利濫用判断基準

・下関商業高校事件(最判昭和55年7月10日)― 違法な退職勧奨の判断基準

・リコー(子会社出向)事件(東京地判平25年11月12日労判1085号19頁)― 退職勧奨拒否後の出向命令の濫用

■ 免責事項

本記事は、執筆時点(2026年5月4日)における報道情報に基づき、判決の要旨と実務上の留意点を解説するものです。判決全文は未確認であり、今後の判例情報誌(労働判例・労働経済判例速報等)への掲載をお待ちください。個別の労務トラブルについては、事案の特性により判断が変動するため、当法人または弁護士等の専門家への個別相談を推奨いたします。

EXECUTIVE AUTHOR

三重 英則(みえ ひでのり)

社会保険労務士法人T&M Nagoya 代表社員

特定社会保険労務士/経営心理士/経営法曹会議賛助会員

中小・中堅企業の経営者と並走し、IPO労務監査・M&A労務デューデリジェンス・休職制度設計・人事制度設計を含めた包括的な人事労務支援を提供。「経営者と共に歩き、最善の解を導き出す」を信条とする。

― 誠 / Think more / 伴走 ―