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作成日:2026/04/03
【裁判例】9年間の指導でも改善なし―能力不足を理由とする普通解雇が有効とされた要件を読み解く(AGC事件(東京地裁 令和7年8月21日判決))
判例から学ぶ労務管理 普通解雇

9年間の指導でも改善なし――能力不足を理由とする普通解雇が有効とされた要件を読み解く
AGC事件(東京地裁 令和7年8月21日判決)


📌 この記事でわかること

・能力不足・適格性欠如を理由とする普通解雇が「有効」とされるために、会社はどこまでやるべきか
・約9年間にわたる指導プロセスの中で、裁判所が評価した具体的対応とは
・自社の問題社員対応に活かすための実務チェックリスト


「能力が足りない社員を辞めさせたい」――経営者・人事担当者の方から、こうしたご相談をいただくことは少なくありません。しかし、日本の労働法制のもとでは、能力不足を理由とする普通解雇のハードルは極めて高いのが現実です。

今回ご紹介するAGC事件は、会社が約9年間にわたり配属変更や指導を繰り返した末に行った普通解雇について、東京地裁が「有効」と判断した注目すべき事例です。この判決から、「解雇が認められるために、会社は何をどこまでやる必要があるのか」を実務の観点から読み解きます。


1|事案の概要

会社 ガラス製品等各種製品の製造・加工・売買等を目的とする株式会社(AGC株式会社)
従業員 平成24年4月入社の総合職社員(以下「甲」)
解雇の種類・時期 令和3年8月20日付 普通解雇
解雇事由(就業規則) 技能・能率が極めて低く上達・回復の見込みが乏しい/他人の就業に差支えがある等、現職務への著しい不適格
従業員の請求 解雇無効(労契法16条違反)を主張し、地位確認+5年8か月分の賃金・賞与を請求
判決 請求棄却(解雇有効)

2|約9年間の経緯――何が問題で、会社はどう対応したか

この事案の最大の特徴は、会社が解雇に至るまでに約9年間という長期にわたって段階的な対応を積み重ねていた点です。裁判所が認定した事実関係を整理すると、以下のような経緯がみえてきます。

段階 甲側の状況 会社の対応
第1段階
初期配属期
担当業務と関連しない事項や抽象論に固執し、本来の業務を進められなかった 上長・教育担当が面談等で繰り返し助言・指導を実施
第2段階
配属変更後
平易な課題を設定されたにもかかわらず、課題達成に不要な考えに固執し、達成できなかった 配属変更+平易な課題の設定+特別の支援体制を構築
第3段階
問題行動の深刻化
・事前連絡なしの遅刻を繰り返す(フレックスタイム制下の出社ルール違反)
・離脱した社内プロジェクトのメンバーを誹謗中傷するメールを繰り返し送信
・注意指導を受けても同様の行為を継続
出社ルールの明確化、メール送信行為への注意指導を繰り返し実施
第4段階
解雇判断
指導に対し他責的な言動を繰り返し、感情的・攻撃的態度で職場の協調性を損なった 約9年間の改善努力を尽くしたうえで、普通解雇を実施

3|裁判所の判断――解雇が「有効」とされた4つの根拠

東京地裁は、労働契約法16条(解雇権濫用法理)に基づき、本件解雇に客観的合理的理由があり、社会通念上も相当であると判断しました。その判断を支えた柱は、大きく4つに整理できます。

No. 判断の柱 裁判所の評価
適格性の著しい欠如 甲は資質・能力等の適格性を著しく欠いており、改善の見込みは極めて乏しい
会社の改善努力の十分性 約9年間にわたる配属変更・課題設定・支援体制・面談指導を実施しており、雇用継続のための努力を尽くしたと評価
職場秩序への悪影響 誹謗中傷メール、感情的・攻撃的態度の継続により職場の協調性を損なった。少人数のサービス機関では勤務努力の点で著しく欠けることがあるとされた
解雇事由への該当性 就業規則所定の解雇事由(技能・能率の著しい低さ、回復見込みの欠如、他人の就業への差支え等)に該当すると認定

4|実務への示唆――自社で同様の事態に直面したとき、何をすべきか

本判決は、能力不足を理由とする普通解雇が有効と認められた数少ない事例の一つです。しかし、裏を返せば、「ここまでやらなければ解雇は認められない」という厳しい基準を示しているともいえます。私たちが日頃の顧問先支援の中で重視しているポイントと重ね合わせて、実務上の示唆を整理します。

✅ 問題社員対応 5つの実務チェックリスト

@ 「記録」がすべての出発点
本件では、9年間にわたる面談記録、指導内容、甲の反応等が証拠として認定されています。日々の指導を「やった」だけで終わらせず、日時・場所・指導内容・本人の反応を記録として残すことが不可欠です。口頭での注意だけでは、後日「指導を受けた覚えはない」と言われた場合に立証できません。

A 段階的な改善機会の付与
本件で会社が高く評価されたのは、単に注意を繰り返すだけでなく、配属変更→平易な課題設定→特別な支援体制の構築と段階的に環境を変えて改善の機会を与えた点です。いきなり解雇に踏み切るのではなく、PIP(業績改善計画)や業務内容の変更など、会社として「この社員に成功してもらうために何ができるか」を尽くすプロセスが求められます。

B 「人間関係の問題」と「能力の問題」を切り分ける
本判決では、職場の人間関係がこじれていることだけを理由に直ちに解雇することは許容されないことも示唆されています。使用者には、適切な職場環境を調整する配属義務があると考えられており、まずは配転や部署変更によって解雇を回避する方策を検討することが重要です。それでも改善しない場合に初めて解雇の選択肢が現実味を帯びてきます。

C 就業規則の解雇事由を明確に
本件では、就業規則に「技能または能率が極めて低く、かつ上達または回復の見込みが乏しいかあるいは他人の就業に差支えがある」等の具体的な解雇事由が定められていたことが、解雇の有効性判断を支えています。自社の就業規則に能力不足・適格性欠如に対応する解雇事由が具体的に規定されているか、改めて確認してください。

D 少人数組織ほど早期対応が鍵
本判決では、甲の所属部署が少人数のサービス機関であったことが、協調性・勤務努力の欠如の重大性を裏付ける事情として考慮されています。中小企業やスタートアップなど少人数の組織では、一人の問題行動が周囲に及ぼす影響が極めて大きくなります。問題の兆候が見えた段階で、「放置せずに対応する」体制を整えておくことが大切です。


5|解雇を「最後の手段」にするために――日頃からの備え

本判決は、解雇が有効とされた事例ではありますが、会社が9年間という途方もない時間と労力を費やしていることを見逃してはなりません。こうした事態に至る前に、以下の対応を日頃から講じておくことが、結果として会社にとっても従業員にとっても最善の選択につながります。

▶ 試用期間の活用:本採用拒否は解雇と同様に厳格に審査されますが、それでも長期雇用後の解雇よりは認められやすい傾向にあります。試用期間中の評価基準を明確にし、適格性の見極めを入社初期の段階で行う仕組みを整備しましょう。

▶ 定期的な面談・フィードバック制度:問題が深刻化してから対応するのではなく、定期面談を通じて日常的にフィードバックを行い、記録を残す習慣をつけることが重要です。「言った・言わない」の争いを防ぎ、後の万一の紛争時に会社の対応の適切さを立証する材料になります。

▶ 退職勧奨という選択肢:解雇に至る前の段階で、合意退職(退職勧奨)の道を探ることも現実的な選択肢です。ただし、退職勧奨が執拗になれば違法と判断されるリスクがあるため、その進め方には十分な注意が必要です。


6|まとめ

AGC事件は、能力不足・適格性欠如を理由とする普通解雇が有効と認められた事案として、実務上の重要な参考事例です。判決のポイントを改めて整理すると、以下の3点に集約されます。

@ 能力不足の解雇では、「会社がどれだけ改善努力を尽くしたか」のプロセスが最重要
A 指導→配属変更→課題設定→支援体制といった段階的対応とその記録が不可欠
B 人間関係のこじれだけでは解雇できず、配転等による解雇回避措置の検討が先行する

問題社員対応は、初動の段階から適切なプロセスを踏むことが最も重要です。「解雇できるか」を考える前に、「この社員に改善してもらうために何ができるか」「万一のときに備えた記録は残っているか」を日頃から点検しておくことが、会社を守る最善の方法といえるでしょう。


問題社員対応・解雇に関するご相談はこちら

📖 関連法令・判例
・労働契約法第16条(解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする)
・AGC事件(東京地裁 令和7年8月21日判決)


※本記事は、公表されている裁判例の概要をもとに実務上の留意点を整理したものであり、特定の事案に対する法的助言を行うものではありません。個別の案件については、弁護士・社会保険労務士等の専門家にご相談ください。
※記事内容は掲載時点の法令・判例に基づいています。

✍ 執筆者
三重 英則
社会保険労務士法人T&M Nagoya 代表社員
特定社会保険労務士/経営心理士/経営法曹会議賛助会員