はじめに
「残業月20時間で働きすぎ?」──この数字を聞いて、驚かれる経営者の方も多いのではないでしょうか。
2026年3月、人材会社のジェイックが20代正社員142名を対象に実施したアンケート調査の結果が発表されました。それによると、20代正社員の約7割が月20時間以上の残業で「働きすぎ」と感じているという結果が明らかになっています。
労働基準法上の時間外労働の上限は、36協定の原則で月45時間とされています。しかし、若手社員の心理的な許容ラインはそれをはるかに下回っており、法的基準と現場の感覚との間に大きなギャップが存在することが浮き彫りになりました。
本記事では、この調査結果を踏まえ、特定社会保険労務士・経営心理士の視点から、企業が取り組むべき労務管理のポイントを解説します。
調査結果のポイント
■ 約8割が法定上限を下回る水準で「働きすぎ」と実感
今回の調査では、「働きすぎ」と感じる1カ月あたりの残業時間について、以下のような回答結果が出ています。
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残業時間(月) |
回答割合 |
累計 |
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10時間未満 |
14.1% |
14.1% |
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10〜20時間未満 |
18.3% |
32.4% |
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20〜30時間未満 |
24.6% |
57.0% |
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30〜45時間未満 |
23.2% |
80.3% |
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45時間以上 |
19.7% |
100.0% |
注目すべきは、法定上限の月45時間を下回る水準で「働きすぎ」だと感じている回答者が約8割(80.3%)に上るという点です。
つまり、法律上は「許容範囲内」とされる残業であっても、若手社員の大多数はすでに負担を感じている可能性があるのです。
■ 残業時間だけではない「働きすぎ」の要因
調査では、残業時間の長さ以外で精神的・肉体的に働きすぎだと感じる要因も明らかになりました。
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要因 |
回答割合 |
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過度なマルチタスク |
51.4% |
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休みの少なさ |
51.4% |
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適切な教育やサポートなく責任の重い仕事を行う |
47.2% |
さらに、自由記述では「朝礼での企業理念の唱和」「紙ベースの書類の回覧や対面での会議」「挨拶待ちの時間による残業の発生」など、非効率な慣習やアナログな業務環境への不満の声が多数寄せられています。
一方で興味深いことに、忙しくても前向きに頑張れる条件として「仕事量や成果に見合った昇格・給与が期待できる」(43.0%)が最多となっており、「どのような状況でも過度な忙しさは避けたい」という回答は9.9%にとどまっています。
つまり、若手社員は単に「楽をしたい」のではなく、「頑張る理由」を求めていると言えるでしょう。
法的枠組みの確認
■ 時間外労働の上限規制
改めて、現行法における時間外労働の規制の枠組みを整理します。
労働基準法第32条は、法定労働時間を1日8時間、1週40時間と定めています。これを超えて時間外労働を命じるには、同法第36条に基づく労使協定(36協定)の締結・届出が必要です。
36協定における時間外労働の上限は、原則として月45時間・年360時間です。特別条項付き36協定を締結した場合でも、年間720時間以内、月100時間未満(休日労働含む)、2〜6カ月平均80時間以内(休日労働含む)、月45時間超は年6回までという上限が設けられており、違反した場合には6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金が科される可能性があります。
2024年4月からは、建設業・自動車運転業務・医師にも上限規制の適用が開始され、実質的にほぼすべての業種で上限規制が適用されている状況です。
■ 安全配慮義務との関係
労働契約法第5条は、使用者に対して「労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をする」義務(安全配慮義務)を課しています。
この安全配慮義務は、36協定の範囲内の残業であっても免れるものではありません。たとえ法定上限の範囲内であっても、労働者の心身の健康を損なうような働き方を放置すれば、安全配慮義務違反として損害賠償責任を問われるリスクがあります。
今回の調査結果は、「法定上限の範囲内=安全」とは言い切れないことを改めて示唆するものと言えるでしょう。
経営者が今すぐ取り組むべき5つのポイント
▶ 1. 残業時間の「見える化」と適正管理
まず基本となるのは、各従業員の残業時間を正確に把握することです。勤怠管理システムの導入・活用により、リアルタイムで労働時間を把握し、36協定の上限に近づいた段階でアラートが出る仕組みを構築しましょう。
単に「月45時間を超えないようにする」という法令遵守だけでなく、月20時間程度の残業でも負担感を覚える若手社員がいることを前提に、業務量の偏りがないかを定期的にチェックする姿勢が求められます。
▶ 2. 非効率な業務慣習の見直し
調査では、非効率な慣習への不満が多数寄せられています。「朝礼での企業理念の唱和」「紙ベースの回覧」「対面のみの会議」といった慣行を、一度棚卸ししてみましょう。
ITツールやAIの積極導入による単純作業の削減を求める声は26.8%に上っており、デジタルトランスフォーメーション(DX)への期待は確実に高まっています。業務効率化は、残業削減だけでなく若手社員の定着率向上にも直結する投資です。
▶ 3. 「成長実感」を持てるマネジメントの導入
今回の調査で最も重要な示唆の一つは、若手社員のモチベーション源が「成長実感」にあるという点です。忙しくても前向きに頑張れる条件として、「将来のキャリアに役立つスキルが磨ける」(18.3%)や「上司や顧客からの感謝」(16.2%)が挙げられています。
定期的な1on1ミーティングの実施、キャリアパスの明示、スキルアップ研修の充実など、「この仕事を通じて成長できている」と実感できる仕組みづくりが、結果的に離職率の低下にもつながります。
▶ 4. 公正な評価・報酬制度の設計
「仕事量や成果に見合った昇格・給与が期待できる」が43.0%で最多の回答だったことは、極めて重要なメッセージです。若手社員は「頑張れば報われる」と信じられる環境を求めています。
人事評価制度の透明性を高め、成果と処遇の連動を明確にすることが、時間外労働の量に頼らない生産性の高い組織づくりへの第一歩となります。
▶ 5. 人員配置の最適化
「人員補充による一人あたりの業務量分散」を求める声が40.1%と最多であったことも見逃せません。恒常的な人手不足を放置したまま業務効率化を叫んでも、従業員の信頼は得られません。
採用計画の見直しとともに、業務の棚卸しによる本当に必要な業務の選別、外注化の検討なども含めた総合的な対策が必要です。
社労士の視点から
私は日々、企業の労務相談に携わる中で、「法律を守っていればそれでいいのか」という問いに向き合う場面が増えてきました。
もちろん、法令遵守は企業経営の大前提です。しかし、今回の調査が示すように、法定上限の範囲内であっても若手社員の多くが「働きすぎ」と感じているという現実は、法令遵守だけでは従業員のエンゲージメントや定着率を維持できない時代に入ったことを意味しています。
特に、以下のようなケースには注意が必要です。
● 36協定は届出しているが、実際の労働時間管理が形骸化している
● 残業代は支払っているが、業務の非効率さが放置されている
● 若手社員の離職率が高いが、原因分析ができていない
● 「昔はもっと働いた」という価値観が組織内に根強い
これらに一つでも心当たりがあるなら、今回の調査結果を組織改善のきっかけとして活用されることをお勧めします。
まとめ
今回のジェイック社の調査は、企業経営にとって非常に重要なメッセージを含んでいます。それは、「働きすぎ」の基準は労働時間の長さだけでは測れないという事実です。
若手社員が求めているのは、単に残業を減らすことではなく、「働く意味」と「正当な評価」、そして「成長の実感」です。これらを提供できる企業こそが、人材確保が困難な時代において持続的な成長を実現できると考えます。
労務管理は、法令遵守だけで完結するものではありません。法律の「その先」にある従業員のエンゲージメントにまで目を配ることが、経営者に求められる時代です。
当事務所では、就業規則の見直しや労働時間管理体制の構築、人事評価制度の設計など、企業の実情に応じた労務管理全般のご相談を承っております。「うちの会社は大丈夫だろうか」と少しでも感じられたら、どうぞお気軽にお問い合わせください。
【参考】
・ジェイック「'働きすぎ'の境界線」に関するアンケート調査(2026年3月10日発表)
調査対象:同社就職支援サービス利用後入社した20代正社員142名
調査期間:2026年2月9日〜2月14日
・労働基準法第32条、第36条
・労働契約法第5条(安全配慮義務)
※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の事案に対する法的助言を構成するものではありません。具体的な対応については、専門家にご相談ください。