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作成日:2026/03/16
【2026年3月東京高裁判決】履歴書の無断提供で10万円の賠償命令――企業が知っておくべき個人情報管理の落とし穴

2026年3月、東京高等裁判所において、企業が従業員の履歴書を本人の同意なく親会社に提供した行為が「目的外使用」に当たるとして、慰謝料10万円の支払いを命じた判決が維持されました。

「たかが10万円」と思われるかもしれません。しかし、この判決が企業実務に突きつけたメッセージは極めて重いものです。履歴書という、どの企業でも日常的に取り扱う書類の管理を誤れば、損害賠償責任を負うだけでなく、企業の信頼そのものが損なわれるリスクがあることを示しています。

本記事では、この判決の概要を整理したうえで、何が問題だったのか、企業としてどのような対策を講じるべきかを、社会保険労務士の視点から解説します。

事案の概要――何が起きたのか

まず、事案の流れを時系列で整理します。


当事者と雇用条件

労働者は令和4年2月、神奈川県内の建築設計会社にCADオペレーターとして入社しました。雇用形態は無期労働契約で、賃金は月額28万円(基本給20万円、能力手当8万円)でした。

未払賃金問題の発生

令和4年10月〜11月分の賃金が未払いとなったことから、労働者は同年12月23日、横浜地方裁判所に債権差押命令を申し立て、差押命令を得ました。

解雇とその撤回

会社は同年12月1日に解雇予告通知書を送付するとともに、月末までの休業を命じました。翌日に両者で解雇の撤回を確認しましたが、翌年1月5日には令和4年12月末で退職した旨を記載した離職票が送付されています。

地位保全の仮処分

労働者は解雇が無効であるとして地位保全等の仮処分を申し立て、令和6年1月26日に毎月末日限り28万円の仮の支払いを命じる決定が下されました。

履歴書の漏洩

この間、会社の親会社が、労働者による債権差押とパソコンの未返却を不法行為だとして損害賠償を求める別件訴訟を提起し、労働者の履歴書と職務履歴書を裁判の書証として提出しました。この訴訟は令和5年10月30日に請求棄却されています。

労働者は、解雇・履歴書漏洩等に対する損害賠償を求める裁判を提起しました。なお、裁判の過程で会社は労働契約上の地位確認請求を認諾しています。

裁判所はどう判断したか

一審(横浜地方裁判所)の判断

一審は、未払賃金・バックペイと付加金に加え、慰謝料計20万円の支払いを命じました。解雇・履歴書漏洩はいずれも不法行為に当たるとして、それぞれ10万円ずつの慰謝料を認めています。

解雇については、解雇予告通知書の送付翌日に両者で撤回を確認したことなどから、労働者には雇用継続の期待があったと指摘し、バックペイだけでは慰謝されない精神的損害があるとしました。

履歴書の漏洩については、同意なく親会社に提供する具体的必要性・相当性は存在しないと強調しています。

二審(東京高等裁判所)の判断

二審では、会社側の弁済により未払賃金と付加金、慰謝料支払い命令は破棄されましたが、解雇・履歴書漏洩についてはそれぞれ10万円の慰謝料を維持しました。

労働者は慰謝料額が低すぎると訴えましたが、東京高裁は以下のように判断しています。

解雇について――労働基準監督署への申告を理由としたもので、極めて違法性が強く悪質であるとしました。

履歴書漏洩について――代表取締役により行われたもので、極めて違法性・悪質性が高く、漏洩された情報のプライバシー性も高いとしました。

そのうえで、労働者の主張する事情を最大限斟酌しても10万円が相当であると結論づけています。

注目すべきポイント――労働者が感じた恐怖

特に注目すべきは、裁判所が労働者の心理的被害にも言及している点です。親会社の代表取締役の住所地が東京都新宿区歌舞伎町内であったことから、労働者は同代表取締役が反社会的勢力ではないかとの疑念を抱き、自身の個人情報が犯罪に利用されるのではないかとの恐怖心を持ったとされています。

履歴書には氏名・住所・生年月日・学歴・職歴など、個人を特定し得る多くの情報が含まれています。それが本人の知らないところで第三者に渡されることの怖さを、この事案は如実に示しています。

何が問題だったのか――3つの論点

本件で問題となった履歴書漏洩の構造を図で確認しましょう。

 

論点@:履歴書の利用目的を逸脱した使用

履歴書は、採用選考および採用後の人事管理のために提出されるものです。個人情報保護法第18条第1項は、あらかじめ特定した利用目的の達成に必要な範囲を超えて個人情報を取り扱うことを、原則として本人の同意なしには禁止しています。

本件では、会社が保管していた履歴書を、親会社が提起した別件訴訟の書証として提出しました。これは明らかに「採用選考・人事管理」という本来の利用目的の範囲を超えた使用です。

論点A:本人の同意のない第三者提供

個人情報保護法第27条第1項は、あらかじめ本人の同意を得ないで個人データを第三者に提供してはならないと定めています。ここでいう「第三者」には、親会社・子会社・グループ会社も含まれます。つまり、グループ内であっても別法人であれば、本人同意なしに個人情報を提供することは原則としてできません。

本件では、労働者の同意を一切得ることなく、履歴書が親会社に提供されました。裁判所は、同意なく提供する具体的必要性も相当性も存在しないと明確に判断しています。

論点B:報復的な性質

解雇は労働基準監督署への申告を理由としたものであり、履歴書の漏洩も労使紛争の文脈で行われました。裁判所が「極めて違法性が強く悪質」と評価した背景には、これらの行為が労働者の正当な権利行使に対する報復的な性質を帯びていたことがあると考えられます。


企業はどうすればよかったのか

本件の教訓を踏まえ、企業がとるべき5つの対策を整理します。

 

対策@:履歴書の利用目的を明確に特定し、厳守する

採用時に取得する履歴書について、利用目的を「採用選考および採用後の人事管理のため」と明確に特定し、プライバシーポリシーや採用ページ等に記載しておくことが基本です。そして、特定した目的以外には一切使用しないという原則を、社内で徹底しなければなりません。

訴訟で証拠として使いたい場合であっても、本人の同意なく履歴書を流用することは許されません。訴訟上の必要性があるならば、弁護士と相談のうえ、適切な手続きを踏むべきです。

対策A:グループ会社間での個人情報の取り扱いルールを整備する

親会社・子会社間であっても、法律上は別法人であり「第三者」に該当します。グループ内での個人情報のやり取りが必要な場合は、以下のいずれかの方法を事前に整備しておく必要があります。

(ア)共同利用の枠組みを構築する
個人情報保護法第27条第5項第3号に基づき、共同利用する旨・共同利用する個人データの項目・共同利用する者の範囲・利用目的・管理責任者の氏名等をあらかじめ本人に通知するか、本人が容易に知り得る状態に置くことで、本人同意なしにグループ内で個人データを利用することが可能になります。

(イ)個別に本人同意を取得する
グループ会社への提供がありうる旨を入社時の同意書等に明記し、あらかじめ本人の同意を得ておく方法です。同意の範囲と目的は具体的に記載し、後日の紛争を防ぐことが重要です。

対策B:履歴書の保管・廃棄ルールを策定する

個人情報保護法第22条は、利用目的の達成に必要な範囲内で個人データを正確かつ最新の内容に保つとともに、利用する必要がなくなったときは遅滞なく消去するよう努めなければならないと規定しています。

履歴書については、以下のようなルールを定めておくことが望ましいでしょう。

・不採用者の履歴書:選考終了後、速やかに返却または確実に廃棄(シュレッダー処理等)する。
・採用者の履歴書:人事ファイルとして適切に保管し、アクセス権限を人事担当者に限定する。退職後は一定期間経過後に廃棄する。
・電子データ:不要になった時点でデータを完全に削除する。

対策C:社内教育・研修の実施

個人情報の取り扱いに関するルールは、策定するだけでは不十分です。経営者を含む全従業員に対し、定期的に研修を実施し、以下の点を周知徹底する必要があります。

・履歴書を含む個人情報の利用目的と、目的外使用の禁止
・第三者提供のルール(グループ会社であっても「第三者」であること)
・違反した場合のリスク(損害賠償責任、企業の信用失墜)
・個人情報の取り扱いに疑問が生じた場合の相談先

対策D:労使紛争時こそ冷静な対応を

本件のように、労使間のトラブルがエスカレートすると、感情的な対応に走りがちです。しかし、労働基準監督署への申告を理由とした解雇は労働基準法第104条第2項で明確に禁止されていますし、報復的な個人情報の流用は不法行為として賠償責任を生じさせます。

労使紛争が生じた場合こそ、弁護士や社会保険労務士などの専門家に早期に相談し、法令に沿った冷静な対応を取ることが、結果的に企業を守ることにつながります。

慰謝料10万円をどう見るか

本判決で認容された慰謝料は10万円であり、金額だけを見れば大きなインパクトはないと感じるかもしれません。しかし、以下の点を考慮すべきです。

第一に、これは慰謝料のみの金額であり、未払賃金・バックペイ・付加金などを含めた全体の経済的負担は相当な額に上ります。第二に、訴訟対応にかかる弁護士費用や人的コストも看過できません。第三に、そして最も重要なのは、企業の信頼・レピュテーションに対するダメージです。個人情報の管理がずさんな企業として世間に認知されれば、採用活動にも取引関係にも悪影響を及ぼします。

10万円の判決は、企業にとって「警告」です。次は、より高額な賠償が命じられる可能性も十分にあります。

まとめ――今すぐ確認すべき5つのチェックポイント

最後に、本判決を踏まえて、経営者・人事担当者の皆様に今すぐ確認していただきたいポイントを整理します。

@利用目的の特定と公表
採用時に取得する個人情報の利用目的を明確に特定し、応募者に通知または公表していますか?

Aグループ会社間の個人情報共有ルール
親会社・子会社・関連会社との間で個人情報をやり取りする場合の法的整備(共同利用の届出または個別同意の取得)は済んでいますか?

B履歴書等の保管・廃棄規程
不採用者の履歴書の返却・廃棄、採用者の履歴書の保管期間・アクセス制限に関する社内規程はありますか?

C個人情報研修の実施
経営層を含む全従業員に対し、個人情報の取り扱いに関する研修を定期的に実施していますか?

D労使紛争時の対応フロー
労使トラブルが発生した場合に、感情的対応を防ぎ、専門家に相談する体制は整っていますか?

いずれか一つでも「できていない」と感じられた方は、早急に対応を検討されることをお勧めします。


※本記事は、公開されている裁判情報および報道に基づき、一般的な法的論点を解説したものです。個別の事案への対応については、専門家にご相談ください。

社労士法人T&M Nagoyaでは、個人情報管理規程の整備、社内研修の実施、労使紛争への対応について、経営者の皆様と共に考え、伴走してまいります。お気軽にご相談ください。