近年、柔軟な働き方として急速に普及している「スポットワーク」において、その利便性の裏に潜む法的な問題点が浮き彫りとなる訴訟が提起されました。労働新聞社(2025.11.13)の記事によれば、スポットワークで働く大学生が、企業(飲食店)側からの勤務日直前のキャンセルは違法な解雇にあたるとして、未払い賃金の支払いを求めて提訴したとのことです。この問題は、単なる一労働者と企業間のトラブルに留まらず、スポットワークを活用する多くの企業経営者にとって、自社の労務管理体制を根本から見直すきっかけとなる重大な示唆を含んでいます。
労働者側の視点に立てば、マッチングアプリを通じて仕事が「成立」した時点で、その日の収入を前提とした生活設計を立てています。しかし、勤務日の前日になって一方的にキャンセルされてしまえば、予定していた収入が途絶えるだけでなく、他の仕事を探す機会も失うことになり、その不利益は決して小さくはないと思います。労働者側は、マッチングが成立した時点で有期労働契約は成立しており、その後のキャンセルは契約期間途中の「解雇」に該当すると主張しています。
一方で、使用者(経営者)側の視点では、急な来客数の変動や従業員のシフト状況に応じて、柔軟に労働力を確保できる点がスポットワークの最大の利点でした。多くの企業は、利用するアプリの労働条件通知書に記載された「雇用契約は…出勤時にQRコードなどを読み込むことで締結され」るといった条項を根拠に、出勤するまでは正式な労働契約は成立していないと認識していた可能性があります。もしマッチング成立時点をもって契約成立と解釈されるならば、急なキャンセル(解雇)には法的な制約が生じ、経営の柔軟性が損なわれるだけでなく、今回の訴訟のように未払い賃金や休業手当の支払い義務が発生するリスクを負うことになります。
この問題の法的な本質は「労働契約が一体どの時点で成立するのか」という点に尽きます。労働契約は口頭でも成立しますが、今回のケースでは、アプリ上の「マッチング成立」の意思表示をもって契約が成立したのか、あるいは労働条件通知書に記載された「QRコードの読込み」という行為が、契約成立に不可欠な「特段の意思表示」として法的に有効なのかが争点となります。過去の判例(大日本印刷事件)では、内定通知が出された時点で労働契約は成立すると判断された例もあり、今回の訴訟で司法がどのような判断を下すか、予断を許さない状況です。
大手スポットワーク事業者の中には、既にこの問題を重く受け止め、マッチングが成立した時点で「解約権留保付きの労働契約」が成立するとの考え方に立ち、就労開始24時間前以降の原則解約を不可とする運用変更に踏み切ったところもあります。今回の訴訟は運用変更前の事案に関するものですが、仮に労働者側の請求が認められれば、その影響は甚大であり、過去の運用実態に対しても多額の未払い賃金支払い義務が発生する可能性が指摘されています。経営者としては、スポットワークの利便性のみに目を向けるのではなく、労働契約法の原則に立ち返り、適正な労務管理体制を構築することが急務となっています。
【使用者(経営者)への具体的対応アドバイス】
今回の訴訟提起は、スポットワークを活用する企業に対し、労働契約の成立時期に関する認識の甘さが重大な経営リスクに直結することを警告しています。
まず、経営者は自社が利用しているスポットワークのプラットフォーム規約や、労働者へ交付している労働条件通知書の内容を直ちに再点検すべきです。「QRコード読込み時に契約成立」といった記載があっても、それが法的に有効であるとは限らず、マッチング成立時点で労働契約は成立していると判断されるリスクが現実化しています。別件では労働基準監督署が「QRコードの読込みにより労働契約が成立する」として指導に至らなかったケースもあるようですが、今回の訴訟は、その記載の有効性自体を司法の場で争うものであり、監督署の見解が司法判断で覆る可能性も十分に認識しなくてはなりません。
次に、このリスクをヘッジするために、運用体制の見直しが不可欠です。IPO審査では、正社員だけでなくパート・アルバイトを含めた全従業員の適法な労務管理が厳しく問われます。スポットワーカーも例外ではなく、有期労働契約者として明確に位置づけ、契約の成立時期、業務内容、そして特に重要な「契約の解約(キャンセル)」に関する事由と手続きを明確化し、労働条件通知書にも正確に反映させる必要があります。場合によっては、就業規則(パートタイマー規程など)に明記することも考えられます。安易な直前キャンセルは「解雇」にあたるとの前提に立ち、解雇権濫用に該当しないよう、客観的かつ合理的な理由を明確化し、その運用を現場管理者に徹底させることが、この類の労務トラブルを未然に防ぐ策の一つとなりえます。
最後に、スポットワーカーを単なる調整弁や「便利な労働力」として扱う経営姿勢そのものを見直す時期に来ているとも考えることができます。直前のキャンセルは、労働者の生活設計を一方的に覆す行為であり、強い不信感や不満を生み出します。たとえ法的にキャンセルが認められるケース(天災事変など)であったとしても、その対応一つで企業のレピュテーションは大きく左右されます。労働者側の視点に立ち、誠実なコミュニケーションを尽くすことこそが、無用な紛争を回避し、多様な人材が安心して働ける職場環境を整備する第一歩であり、ひいては企業の持続的な成長を支える労務管理の根幹となると考えます。